尾張 黒田城
Kuroda castle
黒田城跡【愛知県一宮市木曽川町黒田字古城】
黒田小学校【愛知県一宮市木曽川町黒田字古城26−2】
法蓮寺【愛知県一宮市木曽川町黒田字勘治西60】
神明生田神社【愛知県岩倉市下本町下市場25】
【立地】平城
【黒田藩】1590〜1600年
【歴史】明応年間(1492〜1501年)、相模より移住した五藤源太左衛門光正が館を構えたこと
始まる。天文年間(1532〜1555年)初期、山内但馬守盛豊が入り、岩倉の織田伊勢守信安に仕
えた。1545年山内一豊〔1546〜1605年〕が生まれる。尾張の上四郡〔葉栗郡、丹羽郡、中
島郡、春日井郡〕を支配した岩倉織田氏は、信長と対立関係になり、1557年盛豊の長男十郎が信長
の手勢に攻撃されて討死。1559年盛豊も岩倉城落城の際に亡くなった。一豊は流浪の身となり、1
568年頃、信長に仕えて秀吉の与力となった。盛豊没後、黒田は犬山城主織田信清の弟広良の領地と
なったが、1562年信長の「美濃攻略」の際、広良は討死し、代わって和田河内守定利〔〜1574
年〕が城主となった。1574年「長島一向一揆の戦い」で定利が討死し、弟定教が城主を継ぐ。15
82年「本能寺の変」の後、織田信雄の命で沢井左衛門尉雄重(吉長)〔〜1608年4月4日〕が入
り、1590年「小田原攻め」後、秀吉の家臣一柳監物直盛〔1564〜1636年〕が入り、3万石
で黒田藩を立藩。1600年「関ヶ原の戦い」の戦功により、1601年直盛は伊勢国神戸城5万石へ
移り、廃藩、廃城となる。現在、黒田小学校に変わり、石碑、歴史看板が立つ。
【所感】黒田小学校は名鉄名古屋本線とJR東海道本線に挟まれ、黒田城跡の石碑はJR東海道本線側
の北東角に在ります。綺麗に整備され、駅近くを通る人にも充分目に留まる造りになっています。小学
校の北東に山内一豊の父盛豊、兄十郎の菩提寺法蓮寺が在り、寺門前に「山内一豊公出生之地」の石碑
が在ります。一豊の生誕地は黒田城とも、岩倉城とも云われ、岩倉城祉北250m程の神明生田神社に
も“山内一豊の誕生碑”が在ります。
黒田城跡・黒田小学校
黒田城趾の石碑・黒田小学校〔写真:左〕黒田城主澤井雄重公没後四百年記念碑・黒田小学校〔写真:右〕
山内一豊公像・黒田小学校〔写真:左〕法蓮寺〔写真:右〕
山内一豊公出生之地の石碑・法蓮寺〔写真:左〕山内但馬守盛豊・十郎父子の墓・法蓮寺〔写真:右〕
贈従三位山内一豊誕生地碑・生田神社〔写真:左〕NHK大河ドラマ「功名が辻」放映記念碑・生田神社〔写真:右〕