遠江 草ヶ谷城
Kusagaya castle
草ヶ谷城跡【静岡県周智郡森町草ヶ谷】
香勝寺【静岡県周智郡森町草ヶ谷968】
【歴史】1432年一宮荘の代官になった武藤与次郎用定が領域統治の拠点として草ヶ谷城
を築き、南麓に居館を構えたと云う。1545年武藤氏定は居館を南方200mに移し、旧
居館に香勝寺を建立した。氏定は今川氏に従ったが、1560年今川義元が没し、1568
年武田信玄の駿河侵攻・徳川家康の遠江侵攻が始まると、武田方に与して家康軍に攻められ
、甲斐に逃れた。1572年武田信玄の西上に従軍し、氏定は新たな軍事拠点として真田山
城を築き、1572年「三方ヶ原の戦い」で徳川軍に圧勝。1573年信玄が没し、158
1年「第二次高天神城の戦い」の際、氏定は武田軍で戦死した。江戸時代、草ヶ谷は幕府の
直轄地となり、1679〜1722年森町村外七ヶ村の知行主土屋主税が居館を陣屋敷とし
て利用する。城は香勝寺の裏山〔標高79m、比高25m〕とされ、開墾によって消失。現
在は山林、みかん畑、茶畑に変わり、遺構は無い。
【所感】城跡とされる香勝寺背後の山は東西に長く、西は山林、東は墓地・みかん畑・茶畑
になっており、この山林の中に武藤氏の墓所があります。山の北側は広大な茶畑が広がり、
城が在った山が何処まで開墾されたのか全く分かりません。ただ、みかん畑から南方の東海
道方面が見やすいことは確認出来ます。香勝寺の南方200mの個人宅が陣屋敷と呼ばれる
場所で、北端に土塁が残っていますが、道路建設の際に少し削られているそうです。
一宮荘代官職武藤氏の墓【町指定文化財】
香勝寺・草ヶ谷城居館跡
草ヶ谷城跡
草ヶ谷館跡・個人宅
草ヶ谷館跡北側の土塁