三河 桑子城
Kuwako castle

  桑子城跡【愛知県岡崎市大和町沓市場】
   妙源寺【愛知県岡崎市大和町沓市場65】
矢作南小学校【愛知県岡崎市大和町西島13】

【立地】平城

【国重要文化財】妙源寺柳堂

【歴史】築城年は定かではない。阿部因獄正の築城とされる。後、安藤薩摩守信平・帯刀父
子が入り、安藤氏代々の居城となる。安藤家重は松平宗家8代広忠仕えたが、1540年安
城合戦で織田信秀軍に討たれて戦死。その子安藤基能〔〜1572年〕は1572年「三方
ヶ原の戦い」で戦死した。基能の長男安藤直次〔1554〜1635年〕は幼少期より家康
に仕え、1570年「姉川の戦い」1575年「長篠、設楽原の戦い」1584年「小牧、
長久手の戦い」などに参戦し、家康から弓を拝領する程の活躍であった。1590年家康関
東移封の際、1000石を得た。1600年「関ヶ原の戦い」では家康の使番を務め、16
03年家康将軍宣下に参加、1605年武蔵国に於いて2300石の所領を与えられた。1
610年徳川頼宣付けの家老に任ぜられ、1614年「大坂の陣」では幼少の頼宣に代わっ
て参戦し、長男安藤重能を亡くした。1617年掛川藩主2万8000石となり、1619
年徳川頼宣は紀伊藩主になると、直次の付家老として移り、紀伊国田辺藩主3万8000石
となる。1635年没。妙源寺は1563〜1564年「三河一向一揆」の際、家康軍が難
を逃れた寺として知られ、家康の「源氏」を賜り、明眼寺から妙源寺へ改称している。城跡
は妙源寺の南西辺りとされ、遺構は無い。


【所感】JR東海道本線西岡崎駅の北東、矢作南小学校北西に妙源寺が在ります。家康ゆか
りの妙源寺には重要文化財の柳堂、墓所に本多忠豊・忠高、高木水主、平岩親吉、長坂血槍
九郎の墓が在り、見所がいっぱい。三河武士を調べている方なら必ず来る場所です。





妙源寺本堂



柳堂【国重要文化財】・妙源寺



安藤帯刀直次公の墓・妙源寺



平岩親主計頭吉公の墓・妙源寺



本多平八郎忠高公・本多助左衛門忠豊公の墓・妙源寺



高木主水正清秀公の墓・妙源寺