遠江 馬伏塚城
Mamushizuka castle

 諏訪神社【静岡県袋井市浅名1156】
浅羽郵便局【静岡県袋井市浅名1760−10】
  了教寺【静岡県袋井市浅名1342】

【立地】平城
【別称】蝮塚城・真虫塚城

【市指定史跡】

【歴史】築城年は不明。初代城主は小笠原信濃守長高とされる。長高は信濃から尾張を経て、三河国幡
豆郡の吉良義堯を頼り、後に今川氏親に属した。遠江国山名郡浅羽荘を領して馬伏塚城主となり、15
44年城内で没する。長高の子春義は、福島上総介正成が今川氏に叛いて北条氏に属すと、代わって高
天神城主となり、馬伏塚城主も兼ねた。その子氏清も今川氏に属し、馬伏塚城・高天神城両城主を務め
るが、1568年今川氏に叛き、徳川家康に転仕、1569年に没した。氏清は馬伏塚天岳寺に葬られ
たが、後に了教寺に改葬された。1574年6月高天神城が武田氏の攻撃で落城すると、家康は馬伏塚
城を修復し、大須賀康高を城主として入れ、武田氏に備えた。1578年家康は康高に命じて横須賀城
を築城、城主とさせ、1580年9月高力清長を馬伏塚城主とした。1582年8月清長は駿河国田中
城へ移り、廃城となる。現在は諏訪神社・住宅・畑に変わり、曲輪、土塁、堀切などが残る。

【所感】浅羽郵便局が在る県道41号線、県道403号線が交わる浅名北交差点から700m程東進し
た「馬伏塚城跡」の看板の場所を右折すると、50m程進んだ左手に城跡の看板が在り、縄張り図、遺
構の現状が確認出来ます。諏訪神社へ向かう道の両脇に土塁、神社本殿下も土塁の一部として残ってい
ます。諏訪神社周辺が南曲輪群と呼ばれ、北曲輪群、居館推定域もその北方に在ります。




本曲輪遠景「南曲輪群」

 

本曲輪近景「南曲輪群」〔写真:左〕本曲輪北端に残る土塁の一部「南曲輪群」〔写真:右〕

 

馬伏塚城跡の石碑・諏訪神社・本曲輪「南曲輪群」〔写真:左〕諏訪神社・本曲輪「南曲輪群」〔写真:右〕


 

北曲輪西端に建つ馬伏塚城跡の看板「南曲輪群」〔写真:左〕袖曲輪・民家「南曲輪群」〔写真:右〕

 

「北曲輪群」の西端・雑木林〔写真:左〕「北曲輪群」東側の外堀跡〔写真:右〕

 

「北曲輪群」内の道〔写真:左〕「北曲輪群」北端の掘切〔写真:右〕

 

了教寺「居館推定域」

 

小笠原氏清と竹田重右衛門の墓・了教寺・「居館推定域」〔写真:左〕「居館推定域」〔写真:右〕