肥前 丸尾城
Maruo castle
丸尾城跡・本光寺【長崎県島原市本光寺町3380】
【立地】平山城
【市指定史跡】藩主 松平家墓所
【歴史】築城年は定かではない。島原氏の城砦とされる。1584年「沖田畷の戦」では、
肥前国日野江城主有馬晴信+薩摩島津連合軍〔約6000人〕×島原半島制圧の目論む佐賀
の龍造寺隆信〔2万〜6万人〕の間で九州の覇権を賭けた争いが行われた。龍造寺勢は部隊
を三軍〔海手・中央・山手〕に分け、森岳〔現島原城〕の有馬・島津軍本陣を目指して侵攻
。猿亘越中守信光が守る山手の丸尾城は龍造寺勢の鍋島直茂を迎え討ったが、龍造寺隆信討
死の報を知るや鍋島勢は撤退。戦功により有馬晴信は領国を預かり、援助してくれた宣教師
との関係を深めて行くが、このことが1637〜1638年「島原の乱」の遠因となる。現
在は墓地となり、遺構は無い。
【所感】島原藩主深溝松平家の菩提寺ということで、わが愛知県の本光寺〔深溝松平家の墓
所〕と同じ名前なので親近感が湧きます。本堂の前に井戸が在りますが、看板の文字が消え
、どういった井戸かよく分かりません。本堂の右手から石段を登って城跡へ向かいますが、
登り切った正面に丸尾城跡の看板、左手の石段を上ると、島原藩主の深溝松平家墓所・十六
羅漢の石像が並ぶ場所になります。松平家墓所が最高地になるので、ここに砦城が在ったと
思われますが、遺構も無く、縄張りもよく分かりません。
本光寺
丸尾城跡の看板
シーボルトの弟子 賀来佐一郎佐之の墓・戊辰戦争戦没者(磯野・小澤・木下・高槻氏)の墓
松平家墓所
十六羅漢石像