尾張 又兵衛屋敷
Matabe residence

 又兵衛屋敷跡【愛知県名古屋市熱田区神宮3丁目】
きよめ餅総本家【愛知県名古屋市熱田区神宮3丁目7−21】
   熱田神宮【愛知県名古屋市熱田区神宮1丁目1−1】


【立地】平地

【歴史】中野又兵衛重吉〔一安〕の屋敷とされる。場所は田島で、熱田神宮東門付近に在っ
た秋月院というお寺の跡地と云う。信秀の代から織田家に仕え、1542年「小豆坂の戦い
」で奮戦し、七本槍の一人に数えられる。以後、信長の側近で馬廻、平井久右衛門重吉と共
に弓衆の指揮にあたった。1570年8月「野田・福島攻め」に従軍、1572年「浅井攻
め」では木下秀吉を助け、1578年「有岡攻城戦」にも参戦した。1582年「本能寺の
変」後、織田信雄に仕え、高針郷で600貫文を知行。信雄改易後、秀吉に仕え、秀次に付
属される。秀次没後、一時浪人するが、再び秀吉に仕え、弓頭で3000貫文を賜った。1
598年12月29日田島で没したと云う。遺構は無い。

【所感】天保15年〔1844年〕尾張志附図熱田図の熱田神宮東門辺りに秋月院の区画が
見えます。熱田神宮の権宮司田島氏の屋敷へ通じる道の途中に在り、絵地図の精度がいか程
が分かりませんが、神宮東門の駐車場、もしくはきよめ餅総本家前の県道226号線辺りか
と思われます。熱田神宮の西門近くの茶室「又兵衛」が在りますが、中野又兵衛重吉とは関
係ありません。





神宮東門の前辺り