信濃 松本城
Matsumoto castle
松本城【長野県松本市丸の内】
松本市立博物館・日本民族資料館【長野県松本市丸の内4−1】
【立地】平城
【別称】深志城・烏城・鵝湖城
【天守の構成・形式】連結複合式層塔型天守
【国宝】松本城天守、乾小天守、渡櫓、辰巳附櫓、月見櫓
【国指定史跡】松本城
【歴史】1504年、小笠原貞朝が築いた深志城が前身とされる。1550年武田信玄に攻
められて落城。馬場美濃守が城代となり、三重掘をなど現在に残る縄張りを完成させた。武
田氏滅亡後、木曽義昌、小笠原貞時の弟貞種が城主となり、1582年信長の攻撃で信玄に
奪われた旧地を回復。小笠原貞時の子貞慶が入る。1585年から城の改修・城下町の整備
を行い、深志の地を「松本」に改めた。1590年家康関東移封に伴い、貞慶も下総国古河
へ移り、替わって石川数正が8万石で入る。数正は城郭・城下町の本格的整備を初め、15
92年数正没後も康長が引継ぎ、五重六階の松本城を完成させた。1613年康長は改易と
なり、信濃国飯田から小笠原秀政が8万石で入ったが、「大坂の陣」で秀政・忠脩父子が戦
死した為、忠脩の弟忠真に継がれた。1617年戸田康長が7万石で入り、康直−直政と続
き、1638年堀田正盛が10万石で入る。1642年水野忠清が入り、忠職−忠直−忠周
−忠幹−忠恒と6代と続いた。1726年戸田光慈が6万石で入り、光雄−光徳−光和−光
悌−光行−光年−光庸を経て、9代光則で明治を迎える。1901年天守閣保存会が設立さ
れ、1913年明治の大修理が完了。1950〜1955年保存工事が行われ、1952年
天守が国宝に指定される。1990年黒門、1999年太鼓門が復元されている。その他、
石垣、水堀、井戸、土塁なども残る。
【所感】ゴールデンウィーク、高速道路の渋滞が予想される為、日の出とともに出発。今回
は再々訪になりますが、天気もまあまあ。朝一が勝負と思い、まだ人が少ない状態で急いで
撮影しました。次第に観光客が多くなり、水堀撮影へ切り替え。以前までは主に建物の外観
を撮っていましたが、今回は天守の内部、外に出て総堀や井戸も含めてしっかり周ろうと思
っていました。水堀を撮り終えて戻ると、沢山の観光客。信州を代表する観光名所、いつ来
ても観光客が絶えない名城です。
復元 太鼓門
復元 黒門
現存 五重六階 天守【国宝】月見櫓:高さ11.1m・辰己附櫓:高さ14.7m
天守:高さ29.4m・乾小天守:高さ16.8m
乾小天守1階〔写真:左〕乾小天守2階〔写真:右〕
天守1階−2階間の急階段〔写真:左〕窓が無く天井が低い天守3階〔写真:右〕
天守4階〔写真:左〕唐破風の間・天守5階〔写真:右〕
千鳥破風の間・天守5階〔写真:左〕天守6階〔写真:右〕
天守6階の天井〔写真:左〕天守6階から見た本丸御殿跡〔写真:右〕
辰巳附櫓2階の花頭窓〔写真:左〕辰巳附櫓1階〔写真:右〕
月見櫓1階〔写真:左〕月見櫓1階から見た本丸御殿跡〔写真:右〕
月見櫓1階→地下1階へ降りる階段〔写真:左〕月見櫓地下1階〔写真:右〕
本丸御殿跡
内掘から見た天守
本丸南側の内堀
博物館から見た天守
本丸−二の丸間の内堀
二の丸から見た天守
二の丸御殿跡
本丸北堀
二の丸東北隅櫓台
二の丸東外堀
二の丸東外堀から見た天守
二の丸南東外堀
東総堀
西総堀の土塁・西総堀土塁公園
北馬場柳の井戸〔写真:左〕北門大井戸〔写真:右〕
市役所前庭井戸〔写真:左〕東門の井戸〔写真:右〕
大名小路井戸〔写真:左〕大手町大手門井戸〔写真:右〕
お城の見える井戸〔写真:左〕西堀公園井戸〔写真:右〕
中町蔵の井戸〔写真:左〕徳武の井戸〔写真:右〕
源智の井戸【市特別史跡】〔写真:左〕源智の水源地井戸〔写真:右〕
日の出の井戸〔写真:左〕妙勝寺の井戸〔写真:右〕
鯛萬の井戸〔写真:左〕松本神社前井戸〔写真:右〕
女鳥羽川