信濃 松代城
Matsushiro castle
松代城跡【長野県長野市松代町松代44】
旧真田邸〔新御殿跡〕【長野県長野市松代町松代1】
【立地】平城
【別称】海津城・待城・松城
【国指定史跡】松代城跡〔附新御殿跡〕
【県指定史跡】
【歴史】1560年武田信玄が上杉謙信との戦いに備え、その軍事基地として築いたのが海
津城であり、川中島の戦いでは信玄の拠城となった。1558〜1560年山本勘助が築い
たと云われ、千曲川の流れを巧みに利用して築かれた平城で、川中島平を睨む北側を千曲川
の天然堀で強固に護り、本丸、二の丸を配している。「第4次川中島の戦い」では、この城
で勘助が「きつつき戦法」を進言したと云われている。高坂昌信、昌貞が城主を務め、「川
中島の戦い」以降も北信濃支配の最重要拠点の役割を担った。1582年武田氏滅亡後、信
長の武将森長可の支配下となったが、「本能寺の変」の後は上杉景勝の支配となる。159
8年景勝は会津移封となり、代わって田丸直昌が入り、1600年森長可の弟忠政が13万
7500石で入封。1603年家康の六男忠輝、1610年花井吉成、吉雄、1616年結
城秀康の次男松平忠昌、1618年酒井忠勝、1622年真田信之−信政−幸道−信弘−信
安−幸弘−幸専−幸貫−幸教−幸民10代で明治を迎える。1985年より発掘調査が行わ
れ、堀、土塁石垣、門が復元、櫓台、曲輪が残る。海津城跡公園から150m南に、186
4年真田幸教が義母のために築き、1866年幸教の隠居所となった旧真田邸が在り、松代
城と合わせて国史跡に指定されている。
【所感】長野電鉄屋代線南の駐車場に車を止めて踏切を渡ると、左右に延びる土塁と供に二
の丸南門が迎えてくれます。広々とした敷地に水堀で囲まれた本丸が在り、青空を背景にと
ても気持ちの良い場所になっていました。太鼓門を潜ると、対面に北不明門が見え、左に東
不明門跡、左の方へ進むと、海津城跡の石碑、戍亥隅櫓台が在り、展望台のようになってい
ます。旧真田邸は中には入れましたが、新御殿改修中で見ることは出来ませんでした。勘助
ゆかりの城ということで、記念写真を撮る観光客が多く居た場所です。
二の丸南門跡〔写真:左〕復元 太鼓門前橋・復元 太鼓門〔写真:右〕
復元 北不明門〔写真:左〕東不明門跡〔写真:右〕
戍亥隅櫓台〔写真:左〕本丸水堀〔写真:右〕
海津城跡の石碑〔写真:左〕真田邸・新御殿跡〔写真:右〕