三河 御旗峠古屋敷
Mihatatoge old residence
御旗峠古屋敷跡【愛知県新城市作手中河内字日面・六畝田】
八幡神社【愛知県新城市作手中河内字札前】
【立地】丘地
【歴史】標高560m、比高20mの低山に築かれた屋敷とされるが、時期、歴史は不明である。東麓
に中川が流れ、背後は深い沢、南麓に松平−下山−作手を結ぶ街道が走る。現在は山林となり、2段の
曲輪が残る。
【所感】国道301号線沿い「中河内老人憩の家」背後の山が屋敷跡になります。特に道は無く、直登
で祠まで登り、そこから更に歩いた2段の曲輪が在る場所が屋敷跡とされます。丸くなった尾根を方形
に削っているので、土塁に囲まれている印象を受けます。屋敷跡の北東350m程の山麓〔字尊手〕に
城山祇神社・奥平但馬神社・奥平土佐神社と書かれた石碑が在ります。この石碑に書かれた人物につい
て、昭和57年発行の『作手村誌』に次のような興味深いことが書かれてあります。先ず、奥平但馬は
夏山の奥平但馬守、奥平土佐は稲木〔稲毛〕の奥平土佐守を指すようで、〔中河内〕の頁に“1570
年頃、奥平但馬守が下山村黒坂に田嶋城を築いた”とあり、〔北中河内〕の頁にも“永禄年ニハ上河内
村此時代奥平但馬守殿同名土佐守殿住居屋敷有、同正行寺ト言寺有殿之墓代所也北江当リ山之峰ニ阿弥
陀堂有行良親王様御座之地也、御城之左之高山ニ白山権現之護摩山有右ニ八幡之御社有並ニ中嶋町トテ
町之形有…”とあります。石碑に書かれた人物は強ちこの地域と無関係では無いようで、奥平氏が築い
た城や居住屋敷が在ったようです。それらと御旗峠古屋敷の関係は分かりませんが、今後の課題になり
そうです。
御旗峠古屋敷跡遠景
御旗峠古屋敷跡
「老人憩の家」背後の祠〔写真:左〕奥平土佐神社・奥平但馬神社・城山祇神社の石碑〔写真:右〕