三河 長坂屋敷
Nagasaka residence
長坂屋敷跡【愛知県豊田市大内町長坂57】
【立地】山腹
【別称】長坂新左衛門屋敷・大給城・荻生城
【歴史】15世紀中期に築かれた長坂新左衛門の屋敷で、1567〜1569年頃、「円川
の戦い」で松平宗家3代信光に討たれたと云う。この後、屋敷背後の岩谷山に大給城が築か
れ、大給松平家の居城となった。大給城跡北側の山腹に位置し、墓地、畑地となっている。
大給城本丸跡北側山腹に古井戸が残る。国道301号線道路工事の際に放置されていた墓石
二基は長坂守重、その子坂戸城主長坂信重と同没年月日で、当墓地に移されている。
【所感】国道301号線九久平町簗場信号から東へ1キロ程進んだ右手上の民家裏に位置し
ます。右カーブの手前ですが、道から石垣が見えます。坂道を上り、民家前を通る屋敷跡へ
通ずる道が在ります。
長坂新左衛門屋敷跡辺り・廃寺の石垣・墓地