三河 大草城
Okusa castle
大草城跡・正楽寺【愛知県額田郡幸田町大草寺西6】
【立地】平城
【町指定史跡】
【岡崎・大草松平家】光重〔栄金〕― 親貞 ― 信貞〔昌安〕― 昌久 ― 三光 ― 正親 ―
康安 ― 正朝 ― 正永
【歴史】室町時代、大草氏の居城であったとされる。大草氏は三河国額田郡大草村から起った名族で、
大草三郎左衛門公経、大草次郎左衛門の名がある。松平宗家3代信光の五男光重〔栄金〕が西郷頼嗣の
娘婿となり、岡崎松平氏の祖となる。2代親貞に嫡子が無く、3代は西郷頼嗣の子信貞〔昌安〕とした
。1524年信貞は近郷を押領したことで、松平宗家7代清康に三河山中城を攻められ、明大寺城へ隠
退した。1527年頃まで清康は山中城を居城として後、明大寺へ入った。よって、信貞は更に大草へ
退く。1531年頃、清康は岡崎城を改築して本拠を移す。大草〔岡崎〕松平家4代昌久は、1563
〜1564年「三河一向一揆」で一揆方で大草に篭っている。5代三光を経て、6代正親〔1512〜
1560年〕は松平宗家7代清康・8代広忠・9代家康に仕えたが、1560年「桶狭間の戦い」で討
死。7代康安〔1555〜1623年〕は家康の嫡子信康〔1579年殺害〕に仕え、家康没後、徳川
2代将軍秀忠より6000石を得た。その後、8代正朝−9代正永と続いたが、嫡子が無く、断絶した
。『大草陣屋』場所は不明。大草に大草村・北鷲田村を領有する陣屋が在ったと云う。1615年松平
忠隆−1627年松平忠久−1693年松平伊行−1708年松平忠正−1714年松平忠全−174
0年松平忠郷−1789年松平忠勧−1810年松平忠補−嘉永年間(1848〜1854年)松平若
狭守と続いた。現在は正楽寺に変わり、遺構、城址碑は無い。
【所感】国道248号線正楽寺西交差点に大草城跡の正楽寺が在ります。国道沿いの入口に歴史看板が
立ち、高力清長、西郷稠頼の墓も有ります。
正楽寺
西郷家 熊谷家の墓・正楽寺