三河 桜城
Sakura castle
桜城跡【愛知県豊田市元城町1丁目】
豊田信用金庫本店【愛知県豊田市元城町1丁目48】
NTT西日本豊田ビル【愛知県豊田市元城町1丁目52】
霊岩寺【愛知県豊田市平芝町6丁目−3】
霊岩寺【愛知県田原市田原町北番場3】
【立地】平城
【別称】衣城・挙母城・佐久良城
【市指定史跡】
【挙母藩】1604〜1619年・1636〜1664年・1681〜1871年
【歴史】1604年、三宅康貞の築城とされる。1590年家康関東移封に伴い、三宅康貞
は武蔵国瓶尻5000石へ入封。1600年「会津征伐」「関ヶ原の戦い」に参戦し、遠江
国横須賀城を経て、伊勢国亀山城の城番を務めた。1604年先の戦功により、三河国加茂
郡内で5000石の加増を受け、1万石で挙母藩を立藩。延慶年間(1308〜1311年
)、中条景長が築いた金谷城〔挙母城〕を廃し、挙母盆地中央部に桜城〔挙母城〕・城下町
を築いた。桜が多く植えられたことから、桜城と呼ばれた。2代は嫡男康信に継がれたが、
1619年1万2000石で伊勢国亀山へ転封し、廃藩、天領になる。1636年康信の子
康盛が1万2000石で入封、再立藩したが、1664年康盛が亡くなると、その子康勝は
三河国田原城へ移り、再び廃藩、天領となった。1681年陸奥国石川より1万石で本多忠
利が入り、忠次―忠央が在封。1749年忠央の遠江国相良転封に伴い、上野国安中から内
藤政苗が2万石で入封。1750年幕府から4000両を拝領して本格的な築城許可を得た
が、度重なる矢作川の氾濫に阻まれ、工事を断念。1766年紀伊国和歌山藩徳川宗将の四
男学文が三宅氏の養子となって家督を継ぐが、水害に悩まされる桜城を嫌い、1780年桜
城西方の童子山に移城を嘆願、1782年完成して移った。現在は桜城址公園、豊田信用金
庫、住宅に変わり、隅櫓台が残る。
【所感】桜城址公園は豊田市役所の北東300m程に位置し、NTT西日本豊田ビルの北隣
り、豊田信用金庫本店の東隣りにあります。狭い公園にドカッと座り込んだ櫓台は、周辺の
近代建物とアンバランスな感じで在ります。3重3階の隅櫓で天守閣のような形だったよう
です。平芝公園内に鎮座する霊岩寺〔霊巌寺〕は嘗て三宅氏の菩提寺でしたが、1664年
三宅康勝が田原藩主になった際、挙母藩主初代〜3代の墳墓を田原へ移し、豊田市と同じ梅
坪山霊巌寺を称します。
桜城址公園碑
桜城址の石碑と二の丸平櫓台・桜城址公園
現存 二の丸平櫓台・桜城址公園
旧菩提寺「梅坪山 霊岩寺」・豊田市〔写真:左〕菩提寺「梅坪山 霊巌寺」・田原市〔写真:右〕
初代挙母藩主三宅康貞の墓・霊巌寺〔写真:左〕2代挙母藩主康信・霊巌寺〔写真:右〕
3代挙母藩主三宅康盛の墓・霊巌寺〔写真:左〕4代挙母藩主・田原藩主三宅康勝・霊巌寺〔写真:右〕