三河 山中城
Yamanaka castle

 山中城跡【愛知県岡崎市舞木町城山・舞木町後山・羽栗町長寄・羽栗町本沢】
山中八幡宮【愛知県岡崎市舞木町宮下5】

【立地】山城
【別称】羽栗城

【市指定史跡】

【岡崎松平家】

【歴史】室町時代、城山〔標高196m、比高100m〕に西郷信貞〔岡崎松平家3代〕が築いたとさ
れる。1524年信貞は近郷を押領したことで、松平宗家7代清康に攻められ、風雨を衝いた夜襲で落
城。西郷信貞は明大寺城へ退き、松平清康は安祥城から山中城へ本拠を移した。1527年頃、清康は
明大寺城へ移り、信貞は更に大草へ隠退し、その後、清康に仕えた。1558年9代元康〔家康〕は初
陣「寺部城攻め」の戦功により、今川義元から三河国山中300貫の地を与えられる。1560年「桶
狭間の戦い」で今川義元が討たれると、1561年元康は三河平定へ動く。1563〜1564年「三
河一向一揆」で一向宗に山中城を占拠されるが、元康との和議で治まる。1565年東三河の旗頭酒井
忠次が入り、1590年家康関東移封に伴い、廃城となる。現在は山頂付近に空堀、曲輪が残る。

【所感】名電山中駅近くの国道1号線山中小学校北信号を南へ曲がり、県道324号線を850m程進
んで右折すると、100mで登城口〔舞木口〕に着きます。猪被害防止の為、近年、簡易フェンスが設
けられましたが、登城口は、音羽の岩略寺城跡や足助の鶏足城跡と同じようにセルフでフェンスを開閉
しないといけない場所になりました。登城口から丸太段と山道を経て尾根上に出たら、左へ折れて東尾
根エリアへ入って行きます。このエリアで見ておきたい遺構は右手の片堀切、丸く土塁に囲まれた馬出
し曲輪です。馬出し曲輪の西上に広い曲輪が在りますが、ココは北尾根エリアの始点でもあります。こ
のエリアの北端に大堀切が在りますが、そこへ行くまで山林内を歩き、最後、堀切へ下りる際はストッ
クがないと難しいかもしれません。もとの馬出し曲輪へ戻り、再び、登城道を西方へ歩いて行くと、最
高部に城址碑と看板が立ち、この場所が主郭の上段、北西尾根エリアの始点です。冨士浅間大神が建つ
西側の主郭下段は周囲を土塁が囲み、北西方向へ向きを変えています。主郭の虎口は城址碑の南に1つ
・主郭中央北に1つ・下段南に1つの計3つが在り、上段北東の虎口らしき急坂は破壊道です。主郭西
側には南北に長い腰曲輪が3段在り、その西方に2つの堀切、北西尾根の北端にも堀切が在ります。広
い城域に良好な遺構が散在し、縄張り図を片手に歩いて周っていると、楽しくなる城跡です。



 

羽栗町坂下(舞木口)の登城口〔写真:左〕登城道〔写真:右〕




登城道途中の片堀切・東尾根エリア

 

馬出し曲輪〔写真:左〕竪堀・北尾根中央部西端〔写真:右〕



北尾根北端の掘切



主郭東エリア

 

山中城址の石碑・主郭東エリア〔写真:左〕主郭東エリア〔写真:右〕

 

主郭東エリア南東端の虎口〔写真:左〕主郭中央部北端の虎口〔写真:右〕



主郭西エリア

 

主郭西エリア南端の虎口〔写真:左〕主郭西エリア南端の土塁〔写真:右〕

 

冨士浅間大神・主郭西エリア〔写真:左〕腰曲輪2段目→3段目へ下りる虎口・主郭西エリア東側〔写真:右〕



北西尾根北端の堀切



城郭西端1本目の堀切



城郭西端2本目の堀切

 

羽栗町本沢(羽栗口)の登城口〔写真:左〕山中城跡遠景〔写真:右〕