遠江 三倉城
Mikura castle

         三倉城跡【静岡県周智郡森町三倉】
         許禰神社【静岡県周智郡森町三倉830】
NTT西日本三倉電話交換所【静岡県周智郡森町三倉775−4】

【立地】山城

【歴史】三倉川×太田川合流点の南に位置する標高219m、比高90mの尾根上に築かれ
た山城である。『難太平記』に遠江守護今川範国が三倉山に陣取ったことが記されているが
、この三倉山が当城のことであれば初見である。1337年南朝勢の北畠顕家が奥州を発ち
、鎌倉を攻略。1338年正月、30万騎の軍勢を率いて鎌倉から京を目指して西上。遠江
侵入に備えて今川範国が三倉山に立て籠ったと云われ、北畠勢を追走する幕府の軍勢が遠江
に入ると、今川範国も同行した。享禄年間(1528〜1532年)犬居を領する天野氏が
今川氏から離反。今川氏は天野領の隣接地に中尾生城・光明城を築いて街道を抑え、天野氏
を牽制した。1552年大久保村に八幡社が再建、棟札に地頭「三倉藤原八郎五郎俊宗」と
あり、三倉氏の存在が確認出来る。三倉氏はもとは矢部氏と云われ、駿河の矢部氏が今川氏
親の被官となって戦を重ね、文亀・永正(1501〜1517年)の遠江侵攻に参戦の後、
三倉に土着して「三倉氏」を名乗ったとされる。1574年頃、三倉氏は徳川家康に従い、
犬居の天野氏を攻撃する際に三倉城が徳川勢の陣所として使われる。1576年徳川氏が樽
山城を攻略すると、三倉氏は樽山城の城番に就いている。1582年『家忠日記』に「牧野
衆本平八(本多忠勝)・大五郎・左衛門、懸川衆、田原衆みくらへ陣替候」とある。現在は
山林となり、曲輪、堀切、竪堀が残る。

【所感】近くに駐車場が無いので、私はNTT西日本三倉電話交換所横の広場に止めさせて
頂きました。登城口は民家横から真っ直ぐ山へ向かう方法が最短距離になりますが、初訪で
は分かり辛いかもしりません。私は許禰神社から探しました。社務所裏を北進して突き当り
の民家の裏手を〔木橋を渡って〕グルっと周り込んだ反対側が登城口〔標柱無し〕です。こ
こから急斜面をジグザグに登ると、左手に腰曲輪、最高地にシダに覆われた本曲輪、奥へ進
むと堀切が一つ、次に土橋+堀切の遺構があります。その先の尾根道を進み、再び急斜面を
ジグザグに登り切ると三倉城跡最大の曲輪と南端に土塁があります。確認出来る遺構は多く
ありませんが、地域の歴史を知る上で訪ねておきたい城跡です。














許禰神社→登城口までの道



民家横→登城口までの道・道路からの最短コース



登城口










登城道



本曲輪西側の腰曲輪



本曲輪



本曲輪から1本目の堀切



本曲輪から2本目の堀切



尾根道



最上段の広い曲輪へ登る斜面道



最上段の広い曲輪