美濃 松倉城
Matsukura castle

松倉城跡【岐阜県各務原市川島松倉町】

【立地】平城

【歴史】戦国時代、加賀国富樫氏の庶流坪内藤左衛門尉頼定が尾張国へ移住し、織田信秀に
仕えて後、1547年初代松倉城主となり、松倉を領有した。4代城主坪内玄蕃頭利定は、
信長に仕え、木曽川の川並衆〔蜂須賀小六、前野長康、大沢基康、松原内匠、日比野六太夫
、青山新七ら〕の纏め役を勤めた。1559年浪人暮らしをしていた前田利家を松倉城へ住
まわせたり、1566年藤吉郎の墨俣城築城の際、木曽の木材を松倉湊で一旦陸揚げ→加工
→墨俣へ流したり、信長の美濃攻略に助勢した。1582年信長没後、秀吉と不和になり、
一時、金山〔現在の可児市兼山〕へ退き、1584年「小牧、長久手の戦い」では家康に与
した。1600年「会津征伐」「関ヶ原の戦い」では鉄砲隊を指揮し、戦後、美濃国葉栗郡
、各務郡6500石の旗本となり、同年、拠点を松倉城→新加納陣屋へ移し、明治まで存続
した。現在は歴史看板が立ち、遺構は無い。


【所感】県道180号線川島大橋南信号交差点角に1600年「関ヶ原の戦い」の前哨戦「
河田渡河戦」の歴史看板が在ります。信号から東へ川沿いの道を進みます。650m程進む
と、右手に「松倉渡船場跡」の説明看板、更に300m程進むと、右手土手下に「松倉伊八
島水没遺跡」の碑が在ります。更に1キロ強走ると、右手土手下に「松倉城跡」「樫大神」
の歴史看板が在ります。「米野の戦い跡」の碑〔羽島郡笠松町米野〕は、県道178号線沿
いで東海北陸自動車道の西に在ります。この辺りは、1600年「関ヶ原の戦い」で西進す
る徳川軍と豊臣方が、木曽川を挟んで前哨戦が行われた地です。



 

河田渡河戦の歴史看板〔写真:左〕木曽川松倉渡船場跡の説明看板〔写真:右〕

 

松倉伊八島水没遺跡の碑〔写真:左〕松倉城跡の歴史看板〔写真:右〕

 

樫大神の説明看板と石碑〔写真:左〕「米野の戦い跡」の碑・羽島郡笠松町米野〔写真:右〕