美濃 御嵩城
Mitake castle
権現山城跡・金峰ふれあいの森【岐阜県可児郡御嵩町御嵩】
金峰神社【岐阜県可児郡御嵩町御嵩1849】
【立地】山城
【別称】権現山城
【歴史】天文年間(1532〜1554年)、御嵩を拠点とする小栗信濃守が築いたとされ
る。それまでの権現山城〔241m、比高60m〕に代わり、より強固な城とする為、新た
に本陣山城〔標高241m、比高60m〕を築き、双方合わせて「御嵩城」と称する。15
52年美濃高山城攻略の際、甲斐武田氏の家臣平井頼母らの援軍を得て小里出羽守光忠、遠
山与助の攻撃で降伏、武田氏に属することになる。1574年明知城の後詰に向かう途次、
織田信長・信忠が御嵩に陣を置いたと云うが、御嵩城の可能性がある。現在は神社・公園化
され、曲輪、土塁、堀切、竪堀などが残る。
【所感】本陣山城跡は南山台西住宅×南山台東住宅を仕切る山頂に在るが、御嵩城〔権現山
城跡〕は南山台東住宅の北東、金峰ふれあいの森・金峰神社がその場所になります。グーグ
ルには本陣山城跡の場所に御嵩城跡とあり、現地に御嵩城址碑も立っていますが、岐阜県中
世城館跡総合調査報告書の記述通り、権現山城跡を御嵩城とします。御嵩城跡は写真@〜D
〔北〕→写真E〔東〕を経て、写真FG〔南〕と繋がる馬蹄形の形をしており、写真Eと写
真Gに土塁が残り、その他の曲輪は平坦地のみです。馬蹄形の中央部は平坦〔馬場〕で、現
在はトイレ・駐車場となっています。公園整備により破壊された部分もあるようで、特に写
真Eの北・南側は堀・堀切なのか?判断がつかない場所もあります。しかし、本陣山城跡ほ
ど破壊されていないので、城跡らしい雰囲気は十分に感じられます。
金峰神社の石段
@神社の石段左1段目の腰曲輪
A神社の石段右手の腰曲輪
B神社の石段左2段目の腰曲輪
C北の頂の主郭・金峰神社
D主郭南側の腰曲輪と虎口
城跡に居た特別天然記念物ニホンカモシカ
E主郭南東の腰曲輪と土塁
F南の頂へ登る石段
G南の頂の曲輪と土塁