美濃 亘利城
Watari castle
亘利城跡【岐阜県各務原市川島渡町】
【立地】平城
【別称】亘利城屋敷
【歴史】築城年は定かではない。土岐頼芸の家臣松原源吾芸久、弟松原内匠芸定の屋敷とさ
れる。1533年頃、尾張国葉栗郡松原島村を中心に笠田、野中の諸村を支配する豪士であ
った。その後、斉藤道三の配下となり、1544年織田信秀の美濃攻めの際、道三の密命に
より、無動寺村光得寺の砦で土岐頼芸の末弟土岐八郎頼香を殺害し、領地を賜ったとされる
。1555年「長良川の戦い」では源吾は斉藤義竜に与し、松原次郎左衛門は斉藤道三に与
し、松原家も同族争いとなったが、義竜が道三を追い詰め、源吾が松原家の存続を護った。
弟内匠芸定は川並衆〔坪内利定、蜂須賀小六、前野長康、大沢基康、日比野六太夫、青山新
七ら〕の一人であり、1566年藤吉郎の墨俣城築城の際、大工の総棟梁として、木曽の木
材を松倉湊で一旦陸揚げして加工。再度、墨俣へ流し、信長の美濃攻略に助勢した。現在は
住宅に変わり、遺構は無い。
【所感】木曽川の支流南派川に架かる渡橋の北東一帯が城屋敷跡になります。各戸を見ると
、輪中地区と同じように丸石垣上に家屋が建ってものが多く在ります。現在は護岸がしっか
りしていますが、昔は水害の多かった地域と思われます。
亘利城屋敷跡の歴史看板〔写真:左〕木曽川わたり渡船城跡の石碑〔写真:右〕