三河 御園殿屋敷
Misono Tono residence

御園殿屋敷跡【愛知県北設楽郡東栄町御園字坂場41−1】
  御園砦跡【愛知県北設楽郡東栄町御園字高遠】

【立地】丘地

【歴史】天文年間(1532〜1555年)、御園富士〔標高909m、比高220m〕の
山麓〔標高560m、比高100m〕に築かれた奥山大膳亮吉兼の屋敷とされる。吉兼は若
子城主奥平定吉の子で、今川氏に属したが、1569年家康の遠江侵攻の際、家康の配下と
なった。しかし、1571年武田方の和田城主遠山遠江守景広に攻められ、属城とともに落
城となり、武田方となる。1575年「長篠、設楽ヶ原の戦い」で武田氏が大敗すると、再
び、家康方へ復帰した。平時は御園殿屋敷に居住し、有事は屋敷背後の砦へ移って豊根村方
面の物見、本拠地奥山郷への烽火台として利用されたと思われる。現在は畑地となり、遺構
は無い。

【所感】国道437号線新橋北信号から県道74号線をひたすら北上します。県道504号
線との分岐点から500m程戻った右手の脇道を下ります。右に大きく円を描くように下っ
て後、左カーブ最後の民家辺りから御園富士を眺めることが出来、その左手奥の民家前辺り
が御園殿屋敷跡になります。現地の方から詳しく教えて頂きました。



 

御園殿屋敷跡辺り〔写真:左〕御園砦跡〔写真:右〕