遠江 三岳城
Mitake castle

三岳城跡【静岡県浜松市北区引佐町三岳】
三岳神社【静岡県浜松市北区引佐町三岳597】

【立地】山城
【別称】三嶽城・三嶽山城

【国指定史跡】三岳城跡

【歴史】1336年頃、三岳山〔標高466m〕山頂に築かれた井伊道政の城とされる。当城は井伊氏
の本城であり、北の天山城・南の鴨江城・西の千頭峯城・東の大平城を支城とし、足下に奥山城・井伊
谷城・谷津砦・上野砦・今城などを配した。1338年秋、後醍醐天皇の皇子宗良親王が伊勢から井伊
谷へ入り、三岳城は遠江に於ける南朝勢力の軍事拠点となったが、1339年足利尊氏勢の高師泰・師
兼・仁木義長らに攻められ、1340年正月に落城。更に詰城の大平城も追い落とされ、宗良親王は駿
河安倍城へ退いた。下って1514年、曳馬城主大河内貞綱が尾張守護の斯波義達と結び、反今川の兵
を挙げた時、井伊直盛も斯波氏に味方して三岳城を護ったが、今川氏親は刑部城・堀川城に伊達忠宗を
入れ、朝比奈泰以の攻撃で落城に至った。井伊直盛は奥山城へ逃れ、のちに今川氏に服属したが、15
60年「桶狭間の戦い」で先鋒を務め、討死した。1944年国史跡に指定され、現在は山林となり、
曲輪、土塁、堀切などが残る。

【所感】国道257号線と県道303号線が交わる井伊谷信号交差点から三岳神社を目指してひたすら
車で上り続けると、20分程で三岳神社の駐車場に着きます。神社本殿の左手に登城口が在り、山頂ま
で徒歩で500m。幅こそありますが、道は急坂で、木の根や自然石が階段代わりになっている箇所も
多くあります。登り切ると、本曲輪方面と東曲輪方面の境となる堀切に着きます。右手の東曲輪方面へ
足を進めると、東一の曲輪→土壇状のエリア→東二の曲輪を経て、東端に幅10m程の堀切が確認出来
ます。本曲輪方面へ戻り、枡形虎口を通って急坂を登り切ると、東西に長い二の曲輪、その先は一段高
くなって本曲輪が在ります。ここが三岳山の山頂で、南方右手に浜名湖、南方正面に浜松市外、東方に
目をやると、富士山の頂が見えます。本曲輪から更に西へ降りて行くと、急斜面のずっと下まで幾重に
も帯曲輪・横掘〔堀切〕のようなものが設けられている。これは見ておきたい遺構です。



 

三岳神社〔写真:左〕登城道の始まり〔写真:右〕




本曲輪−東曲輪間の堀切

 

「二の城址」の説明板と縄張り図・東一の曲輪〔写真:左〕東一の曲輪〔写真:右〕

 

「二の城址」の看板・東曲輪中央の土壇〔写真:左〕東二の曲輪〔写真:右〕



「東二の曲輪」東側の大堀切

 

二の曲輪手前の土塁と桝形虎口〔写真:左〕二の曲輪〔写真:右〕



本曲輪



本曲輪西斜面の土塁と仕切り土塁



本曲輪西斜面の土塁と横掘(堀切)