三河 宮口城
Miyaguchi castle
宮口城跡・藤五城跡の看板【愛知県豊田市宮上町2丁目】
元屋敷の看板【愛知県豊田市宮口町6丁目】
宮口上墓地・篠田家墓地【愛知県豊田市宮上町8丁目3】
上行庵【愛知県豊田市宮上町8丁目118】
ファミリーマート豊田宮上町店【愛知県豊田市宮上町1丁目12−2
】
【立地】丘城
【別称】薫五城・藤五城・鼓ヶ城・宮口村古城
【歴史】1164年、尾張国笠寺より篠田藤五郎貞直〔後に貞近〕が宮口村へ来住し、鼓ヶ城を築いた
ことに始まる。貞継−貞親−貞利−貞之−貞安を経て、1336年南北朝争乱の中、7代城主貞宗は討
死、鼓ヶ城は落城となり、8代貞幸は伊勢国北畠氏の地へ退去した。その間、松平宗家2代泰親の子備
中守久親の嫡子加納孫五郎政久の支配下となり、藤五城を新たに築いた。9代幸直は宮口へ戻り、13
90年丸の内館を築いて住んだ。1560年17代貞英の時、織田勢に攻められ、丸の内館・砦として
利用していた藤五城は落城。貞英、貞方父子は猿投三宅氏に隠れ、1580年本多伊勢守康紀支配の中
、19代貞長は宮口へ帰り、衣道屋敷を築いて住んだ。1648年幕府領となり、三河代官鳥山牛之助
精元の管理下で20代篠田左平次弥六は宮口村の代官となった。現在は住宅となり、遺構は無い。
【所感】県道284号線×県道520号線〔旧国道155号線〕が交差する宮上町6信号から、450
m程北上したファミリーマート豊田宮上町店の斜め前に「藤五城跡」の歴史看板が在ります。この看板
の背後一帯が城跡とされます。篠田家墓地は上行庵東側の宮口上墓地内に在ります。
藤五城跡の看板・宮上町2丁目
元屋敷の看板・宮口町6丁目
篠田家墓地〔西宮口村代官篠田竜平・直道・六蔵の墓〕・宮上町8丁目