遠江 都田城
Miyakoda castle

都田城跡【静岡県浜松市北区都田町】

【立地】丘城

【歴史】井伊谷三人衆の一人菅沼次郎右衛門忠久が都田に住み、同じ三人衆の鈴木三郎大夫
重時の長女を娶ったと云う。忠久は長篠菅沼氏の支流で、長篠城を築いた菅沼新九郎元成の
二男菅沼次郎右衛門俊弘を初代とする。2代元景は初め長篠菅沼氏、後に井伊肥後守直親の
家臣、3代忠久は初め今川氏、後に井伊肥後守直親に仕えた。家康の遠江侵攻の際、同族の
野田城主菅沼新八郎定盈の計らいで、井伊谷三人衆〔近藤石見守康用・鈴木三郎大夫重時・
菅沼次郎右衛門忠久〕は家康に属し、多くの所領を得るとともに遠江平定の先導を務めた。
忠久の子4代忠道は井伊直政に従い、1584年「小牧・長久手の戦い」、1600年「関
ヶ原の戦い」に参戦したが、1603年に没し、龍潭寺へ葬られた。1618年5代勝利は
相模国・下総国200石へ移っている為、この頃に廃城になったと思われる。同地か別の場
所か不明だが、都田陣屋が存在し、木村・中津・金原氏らが居住したと云う。城〔居館〕跡
とされる場所に城址碑が立ち、周辺は草地、竹林、畑地、源宮神社となり、遺構は無い。

【所感】都田城跡は天竜浜名湖鉄道の北、都田川がS字に蛇行する西側の丘陵〔標高38m
、比高15m〕に在ります。川を天然の濠とする立地としてはいい場所です。城址碑は有り
ますが、縄張りがよく分からないので、周辺の写真を撮ってみました。










城跡辺りか



城跡から見た都田川