尾張 宮津城
Miyazu castle

     宮津城跡【愛知県知多郡阿久比町宮津字宮上ノ山】
東部保育園・光西寺【愛知県知多郡阿久比町宮津字宮本21】

【立地】丘城
【別称】英比柳審城

菅原道真-新海淳茂-淳景-淳房-淳義-淳隆-淳信-淳康-淳実-実行-実近-実清-淳英-
淳影-淳巷-淳植-淳裯-淳弘-淳城-淳理-淳尚-淳良-淳完-淳資-淳幸-淳行-淳通-淳武
-淳明-清次郎-弥蔵-惣七

【歴史】1286年標高37m、比高25mの丘陵端に新海淳英が築き、新海氏代々の居城となる。菅
原道真〔845~903年〕の子淳茂〔~926年〕の後裔新海実行は卯之山館〔阿久比町卯坂字秋葉
山〕に居たが、1200年備中国英賀郡下村へ移り、実清の時に京都へ転じ、淳英に至って知多郡へ復
帰した。久松城主となり、坂部城へ改名。1286年宮津村柳審城〔宮津城〕へ転住した。1543年
9代淳尚の時、緒川城主水野信元に攻められ、落城となる。現在は公園、神社に変わり、堀切が残る。

【所感】東部保育園・光西寺辺りから東方に見える丘陵が宮津公園・秋葉神社の宮津城跡になります。
公園まで車で行けますが、神社南側から石段で歩いて登ることも出来ます。秋葉神社が建つ最高所が平
坦地Ⅰで、本殿前に櫓台を思わせる水道施設が在ります。一段低くなって、北側の広い平坦地Ⅱは宮津
公園となっており、端部に土塁も無いただの平坦地です。更に北方へ畑地などが段を持って在りますが
、開墾されたような雰囲気が漂い、遺構〔曲輪〕とは言い難いものです。秋葉神社の南側、石段途中の
右手に唯一の遺構となる短い堀切が在り、左側にも横堀らしきものが在ります。





西側から見た平坦地Ⅰ

 

平坦地Ⅰ・秋葉神社〔写真:左〕秋葉神社への石段〔写真:右〕


 

石段左手の横堀?〔写真:左〕石段右手の堀切〔写真:右〕

 

平坦地Ⅰ西側の腰曲輪〔写真:左〕平坦地Ⅱ・宮津公園〔写真:右〕