出羽 溝延城
Mizonobe castle
溝延城跡【山形県西村山郡河北町溝延字本丸】
溝延郵便局【山形県西村山郡河北町溝延字楯148−13】
【立地】平城
【歴史】築城年は定かではないが、1356年羽州探題として斯波兼頼が当地へ入った頃と
思われる。北朝方の斯波氏に対し、南朝方の寒河江大江時茂は長子茂信・三男時氏を溝延に
置き、次男元時を左沢に配して護りを固めたが、1368年「漆川の戦い」に敗れ、溝延茂
信ら寒河江一族は自害した。下って、1584年寒河江大江氏滅亡の後、最上義光が溝延越
中守を5000石で配したとされる。同時期、溝延氏の家老格だった城代安孫子紀伊は慈恩
寺に帰依し、溝延に近い造山で溝延長老を称して隠住したが、溝延部落民の通報により、1
590年最上義光に殺害された。長老の祟りか、部落は裕福には成らず、明和年間(176
4〜1771年)、霊を慰めようと墓が建てられた。現在は城址公園となり、遺構は無い。
【所感】県道282号線沿い溝延郵便局前の信号T字路を西へ入り、150m程進んだ最初
の辻の左前に溝延城址公園が在ります。桜が植わる公園で、冠木門を入った右手に「芸国大
守溝延長老」と書かれた墓が鎮座します。
溝延城址の歴史看板〔写真:左〕溝延城址公園・溝延城址の石碑〔写真:右〕
芸国大守溝延長老の墓・溝延城址公園