伊勢 茂福城
Mochifuku castle
茂福城跡【三重県四日市市茂福町26】
株式会社エステクノ【三重県四日市市茂福町26−19−1】
【立地】平城
【市指定史跡】
【歴史】応永年間(1394〜1423年)、平維茂の後裔平貞冬が越前国朝倉から戦乱を
避けてこの地へ逃れ、城を築いて朝倉氏を名乗ったと云う。代々足利氏に仕えて茂福を領し
、貞冬から3代目の盈盛に至り、織田信長から国司北畠氏討伐の助勢を命ぜられたが、容易
には応じず、反抗の姿勢を見せた。保々西城主朝倉詮真・中野城主中野藤太郎・富田城主南
部兼綱らと盟約を結んで、小豪族連合で事に当たろうとした。下野守盈盛の代では事なきを
得たが、その子掃部助盈豊の代で近江六角義賢〔承禎〕との内通の噂が流れ、1567年〔
1571年とも〕滝川一益に長島城で誘殺された。1568年〔1572年とも〕には保々
西城・中野城・富田城・羽津城も一益に滅ぼされた。現在は住宅に変わり、看板が立つ。
【所感】ココは主郭の北西角に当たる場所で、すぐ横を近鉄名古屋線・県道64号線が走っ
ています。現在は株式会社エステクノ〔過去の訪城時は無かった〕の真横に位置し、近鉄名
古屋線の線路側に大きく「茂福城跡」の看板が掲げてあります。車は踏切を渡った道幅が広
い場所に止めました。
茂福城跡