駿河 用宗城
Mochimune castle

用宗城跡【静岡県静岡市駿河区用宗城山町】
 大雲寺【静岡県静岡市駿河区用宗城山町6】
浅間神社【静岡県静岡市駿河区用宗城山町2−15】

【立地】平山城
【別称】持舟城・持船城

【歴史】築城年は定かではない。城山〔標高78m、比高73m〕と呼ばれるの丘陵上に築かれた城で
、今川氏時代には既に存在していたと云う。今川氏真(1538〜1615年)時代の城主は一宮出羽
守宗是(1560年桶狭間の戦いで討死)、その子一宮左兵衛尉元実で、1568年以降は武田方の三
浦兵部義鏡、水軍の将向井伊賀守正重とされる。1579年徳川家康の駿河侵攻で向井正重以下30名
程が戦死。翌1580年武田勝頼は持舟城を修築し、朝比奈駿河守氏秀を置いたが、1582年2月2
3日、再び徳川家康の攻撃を受け、武田家の駿河在駐将士は甲斐へ、朝比奈氏秀は久能山城へ敗走、武
田氏滅亡とともに廃城となる。現在はみかん畑、雑木林となり、曲輪、堀切、井戸跡が残る。

【所感】登城口は浅間神社横の舗装路で、ジグザグ道の汐見坂を登って突き当たりを左へ進むと、右手
に持舟城趾の登り口が在ります。更にジグザグの山道を登り切ると本曲輪です。広い平坦地に城址碑・
説明看板・テーブルが設置され、東方に見晴らしが良く、眼下に東名高速道路・国道150号線・東海
道新幹線・JR東海道本線、静岡市街の奥に富士山が見えます。本曲輪の奥に堀切へ下りる道が在り、
フェンスに囲まれた井戸跡はよく見えません。堀切の向こうは二の曲輪。現在はみかん畑になっていま
す。持舟城趾の登り口へ戻り、アスファルト路を歩いてヘアピンカーブを過ぎると、左手に大雲寺に下
りる鉄製の階段、搦手道が在ります。みかんの収穫で軽トラが通れるように道が舗装されているので、
訪ね易い城跡ですが、本曲輪・二の曲輪を囲む幾つか腰曲輪はみかん畑・雑木林で確認し辛い状態です
。JR用宗駅以南を地図で見ると、嘗ては海であったような埋立地に見えます。持舟城は海沿いの丘陵
地で、南麓に水軍の船が停泊していたことが想像出来ます。



 

城山登り口の看板・浅間神社横〔写真:左〕持舟城趾登り口の看板〔写真:右〕



本曲輪遠景




本曲輪

 

持舟城跡の看板・本曲輪〔写真:左〕持舟城阯の石碑・本曲輪〔写真:右〕



本曲輪−二の曲輪間の堀切

 

フェンスに囲まれた「くらがやの井戸」・井戸曲輪〔写真:左〕二の曲輪・みかん畑〔写真:右〕



城郭東端の曲輪・浅間山砦

 

大手口・浅間神社〔写真:左〕大雲寺・搦手口か〔写真:右〕



水軍の軍港辺りか・JR用宗駅