三河 文殊山城
Monjuyama castle
文殊山城跡【愛知県新城市作手清岳字見徳】
新城市役所支所【愛知県新城市作手高里字縄手上32】
新城市作手診療所【愛知県新城市作手高里字縄手上10−1】
【立地】山城
【別称】一夜城
【歴史】1570〜1572年武田氏との和睦の証として、三河亀山城の奥平氏が文殊山〔標高661
m・比高160m〕に築いた砦城である。奥平氏は和睦を渋ったが、武田氏の強談で一夜で築いたこと
から「一夜城」と呼ばれた。1573年奥平貞能、貞昌父子は作手を捨てて滝山城へ移り、1575年
「長篠、設楽ヶ原の戦い」で織田・徳川連合軍を勝利へ導いた。現在は物見櫓、柵が築かれ、曲輪、土
塁、堀切が残る。
【所感】文殊山城跡は車で行くことが出来ます。国道301号線作手村役場東信号を西へ曲がり、新城
市役所支所を経て、新城市作手診療所前の三叉路を標柱に従って左手の砂利道を進みます。砂利道→悪
路→舗装路と変わり、1キロ程で城跡横の駐車場に着きますが、塞之神城跡とセットで行かれる方も多
くいます。楕円形の主郭は西と東に虎口を持ち、一部を除いて土塁が囲んでいます。主郭中央に文殊堂
と城址碑・縄張り看板、南西端には山麓からも見える「物見櫓」と「城柵」が城跡の雰囲気を出してい
ます。主郭の周りは横堀と散策道が囲んでおり、東の尾根に堀切・賽之神城跡へ向う道が続いています
。決して広い城郭ではありませんが、遺構が確認し易い城跡で、見晴らしの良さからウォーキングの休
憩場所にもなっています。
主郭の物見櫓〔写真:左〕主郭への階段・主郭南端の切岸〔写真:右〕
主郭・文殊山城跡の看板・文殊山城址の木碑・文殊堂
主郭東端の虎口〔写真:左〕主郭北西側の横堀〔写真:右〕
城郭東端の堀切〔写真:左〕駐車場から見た城跡〔写真:右〕