美濃 毛利秀元陣所
Mori hidemoto camp

毛利秀元陣跡【岐阜県不破郡垂井町宮代】
  南宮大社【岐阜県不破郡垂井町宮代1734−1】

【立地】山城

【歴史】標高404m、比高362mの山頂に築かれた毛利秀元の陣跡である。1579年
秀元は、毛利元就の四男穂井田元清の嫡男〔次男〕として備中猿掛城で生まれた。1585
年毛利輝元の養子となり、1590年元服して秀元を名乗る。1592〜3年「文禄の役」
、1597〜8年「慶長の役」に参戦し、長門・周防国内で17万石余を得た。1600年
「関ヶ原の戦い」では西軍の総大将毛利輝元の名代として、9月7日南宮山に布陣したが、
東軍と内通した吉川広家に阻まれて動くことが出来ず、敗戦後、大坂城に戻った秀元は、籠
城して徹底抗戦を主張したが、聞き入れられなかった。毛利の領国は8ヶ国120万500
0石→周防・長門2国36万石へ減封となり、秀元は長府藩6万石の藩主となった。現在は
山林となり、曲輪、土塁、堀切、竪堀が残る。


【所感】毛利秀元陣跡への道は南宮山ハイキングコースと同じ道になります。南宮神社の南
門から舗装路へ出て、東照宮→瓦塚→百連鳥居を経て、南宮稲荷神社手前から左の橋を渡り
ます。道成りに進んで東蛇溜池×西蛇溜池間に来ると、右手に安国寺恵瓊陣跡の陣旗と看板
。東蛇溜池を左に更に奥へ進むと、防獣フェンスの開閉扉に着きます。ここが南宮山ハイキ
ングコース(登りコース)のスタート地点になります。陣跡まで順に「○合目」の小さな札
が木に括り付けてありますが、五合目まではひたすら丸太段の登り。その後は坂道と丸太段
が繰り返され、九合目を過ぎ、陣跡の手前から左手に竪堀と土塁の遺構が現れます。陣跡に
着くと、東屋・石碑・看板・陣旗などが建っており、眺めの良い場所になってます。東屋の
ポストに縄張図が入っているので、遺構の参考にされると良いでしょう。この開けた場所が
主郭になり、西側の林へ(南宮山山頂方面)入ると、副郭とその先に堀切があります。主郭
の南東側にも堀切がありますが、草木が茂って写真を撮っても分かりづらい感じになってし
まいました。帰りは五合目まで下り、登りコースから来た地元の方に下りコースについて聞
いてみましたが、利用する人が殆どいないとのこと。試しに行ってみましたが、その理由は
直ぐに分かりました。そして、行かない方が良かったと思いました。それは…道の両脇から
崩れ落ちた石が、足の踏み場も無いほど覆いつくし、その状態が丸太段が終わるまでず〜っ
と続きます。私はストックを持っていたので、何とか足場を探しながら進むことが出来まし
たが、なぜ管理されていないのか、危険な道をどうして封鎖しないのか、不思議なくらいで
した。なんだかんだで片道1時間の訪城を終えることが出来ましたが、次の長宗我部盛親陣
跡(栗原城跡・連理の榊・竹中半兵衛閑居の地)が楽に感じました。


 

東照宮〔写真:左〕瓦塚〔写真:右〕

 

南宮稲荷神社の百連鳥居〔写真:左〕南宮山ハイキングコース方面〔写真:右〕

 

安国寺恵瓊陣跡の看板と陣旗〔写真:左〕南宮山ハイキング登りコース始点のフェンス〔写真:右〕

 

三合目・南宮山ハイキング登りコース〔写真:左〕四合目・南宮山ハイキング登りコース〔写真:右〕

 

五合目・南宮山ハイキングコース〔写真:左〕六合目・南宮山ハイキングコース〔写真:右〕

 

一ツ松の旧跡・南宮山ハイキングコース〔写真:左〕七合目・高山神社・南宮山ハイキングコース〔写真:右〕

 

八合目・南宮山ハイキングコース〔写真:左〕九合目・南宮山ハイキングコース〔写真:右〕



陣地北東端の竪堀と土塁・陣跡入口



陣地北東端の竪堀・陣跡入口



陣地北東端の土塁・陣跡入口



主郭北東端の虎口



主郭・南宮山_毛利秀元陣所古趾碑



主郭南東側の堀切



土塁に挟まれた副郭





副郭西側の堀切



副郭北側の腰曲輪

 

眠神・南宮山ハイキング下りコース〔写真:左〕南宮山ハイキング下りコース始点のフェンス〔写真:右〕