尾張 守山城
Moriyama castle
守山城跡【愛知県名古屋市守山区市場4】
宝勝寺【愛知県名古屋市守山区市場4−45】
【立地】丘城
【別称】森山城
【歴史】1521年今川氏豊が那古野城を築いた際、小幡城、川村城の備えとして松平信定が築いた城
と云う。その後、織田方の城となり、織田信秀の弟の信光が入る。1535年三河国を統一した松平清
康は尾張の守山城へ進軍するが、守山出陣の際、「守山崩れ」が起こる。清康の家臣阿部定吉は織田信
秀と内通して謀反を企んでいる…という噂が流れ、家臣の間で定吉に疑いの目が向けられた。定吉は嫡
男弥七郎正豊を呼び、無実を証明する意味で息子に誓書を手渡した。守山布陣の際、清康の本陣で馬離
れの騒ぎが起こり、弥七郎は父が清康に殺害された!と勘違いし、清康を背後から斬殺した。定吉は許
されたが、弥七郎は直ぐに処罰された。1555年信長が清洲城へ移ると、織田〔津田〕信次−信時〔
秀俊・信直〕−1556年再度、信次が入る。廃城年は「桶狭間の戦い」の後とも、1574年「長島
一向一揆」で信次が戦死した時とも云われ、ハッキリしない。現在は寺、墓地、竹薮、住宅に変わり、
横堀、土塁らしきものが残る。
【所感】矢田川北岸に在る守山城は、宝勝寺が建つ一区画が城跡になります。寺を出て東側の道を歩く
と、寺裏に竹薮、更に進むと、左手のアパート「城跡荘」前に守山城跡の歴史看板、アパート裏の土塁
らしき盛山上に守山城跡の石碑が立っています。石碑は近くの道からは、少し見えにくいかも知れませ
ん。一様、宝勝寺裏手の竹薮を覗くと、土塁、空堀が見えます。
守山城趾の石碑
守山城跡の看板〔写真:左〕宝勝寺・本堂改修工事中〔写真:右〕