尾張 師崎砲台
Morozaki Hodai

師崎砲台跡【愛知県知多郡南知多町師崎字林崎】

【立地】丘地

【歴史】1854年、標高40mの丘陵端に尾張藩が置いた台場で、知多半島では内海砲台
と共に2箇所設置された。1850年師崎と内海に砲台築造決まると、舟奉行千賀與八郎ら
が鳴海代官、横須賀代官と実地見分を行った。内海台場は東端マカ田の丘陵上に築くことが
直ぐに決まったが、師崎は林崎、幡豆崎先端、高岩谷などの候補が挙げられ、大風や高潮に
よる影響、砲台構築による弊害も含めて検討され、最終的に林崎に決定した。海面へ30間
突き出す案から18間に変更し、海面に接していることから、波除けの捨て石の配置、その
上の石垣の築き方、満潮時の水面の高さなども念入りに検討された。1854年1月に着工
し、半年後に完成。大砲は尾張藩御用鍛治の水野太郎左衛門が鋳造したもので、砲台完成前
に海路で運び、千賀屋敷に預けられたと云う。1855年師崎烽火台も置かれた。現在は林
崎公園、住宅に変わり、遺構は無いが、公園の東側に周ると、嘗て、海に接して高台に在っ
たことが窺える。


【所感】師崎港北隣りの師崎新港の西に林崎公園が在ります。港に比べて10m程高く、三
角に突き出た丘端です。この丘端が嘗て海に接していた高台で、幡豆崎と同じように東へ突
き出たもう1つの岬であったようです。砲台跡は滅失していますが、この丘端のみが嘗ての
岬“林崎”が在ったことを感じさせてくれます。




嘗ての海側から見た林崎・林崎公園