下総 佐倉城
Motosakura castle
本佐倉城跡【千葉県印旛郡酒々井町本佐倉・佐倉市大佐倉】
【立地】平山城
【別称】将門山城
【国指定史跡】本佐倉城跡
【歴史】1454~1483年「享徳の乱」の際、1456年千葉康胤が戦死。千葉輔胤〔
千葉胤依の三男・1421~1492年〕が千葉宗家を引き継ぎ、文明年間(1469~1
487年)末頃、本佐倉城を築いて千葉城から本拠を移したと云う。その後、2代孝胤〔1
442~1505年〕-3代勝胤〔1470~1532年〕-4代昌胤〔1496~154
6年〕-5代利胤〔1518~1547年〕-6代親胤〔1541~1557年〕-7代胤
富〔1527~1579年〕-8代邦胤〔1557~1585年〕-9代直重〔~1627
年〕と続いた。7代胤富の時、臼井城(佐倉市)まで上杉謙信に攻め込まれ、所領を護る為
、北条氏に属した。1585年8代邦胤が家臣の一鍬田孫五郎に殺害されると、北条氏政は
千葉氏の佐倉領に対して直轄支配を開始。北条氏の支配が浸透、1589年氏政の五男直重
が千葉氏の家督を継承した。本佐倉城は北条氏の支城となり、直重の佐倉領支配が本格化す
る前の1590年、秀吉の「小田原征伐」によって北条氏・千葉氏は滅亡した。直重は蜂須
賀家に召し抱えられ、阿波で没した。子孫は北条氏の旧姓「伊勢氏」に改め、徳島藩士とし
て存続した。1998年国指定史跡、2017年続日本100名城に選定される。現在は山
林、草地、住宅に変わり、曲輪、土塁、空堀、堀切などが残る。
【所感】京成本線・国道51号線・国道296号線に囲まれたこの場所は、本佐倉城跡〔内
郭群・外郭群〕を中心に砦跡・館跡・屋敷跡・城跡が散在しています。今回訪ねた場所は内
郭群、しかも倒木で進入出来ない倉跡・セッテイを除く、東半分のエリアでした。今はコロ
ナで再訪は出来ませんが、いつか再訪して、より細かく撮影したいと考えています。
国史跡 本佐倉城跡碑・東山馬場
国指定史跡 本佐倉城跡の看板と石碑・東山馬場(五の郭)
東山馬場(五の郭)北側の堀切
東山馬場(五の郭)北側の土塁
城山(一の郭)西側の四の郭
城山(一の郭)-奥ノ山(二の郭)間の堀切
城山(一の郭)通路
城山(一の郭)の土塁
園池跡・城山(一の郭)
奥ノ山(二の郭)の妙見宮跡
奥ノ山(二の郭)
東山虎口
東山虎口から見える旧印旛沼