越後 村上城
Murakami castle
村上城跡【新潟県村上市本町】
村上市役所【新潟県村上市三之町1−1】
村上城跡駐車場【新潟県村上市二之町9】
【立地】平山城
【別称】舞鶴城・臥牛山城
【国指定史跡】村上城跡
【歴史】16世紀初期、臥牛山〔標高135m〕に本庄氏が築いたことに始まる。城主は国
人領主の本庄時長で、その後、房長−繁長と続いた。1507年以降、3度の攻防戦があり
、中でも1568年に激戦となった上杉謙信との戦いでは、繁長は篭城戦を展開して護り切
ったが、結果、上杉氏に従った。1598年豊臣秀吉の命により、上杉景勝は陸奥国会津へ
移り、代わって村上勝頼が加賀石小松から9万石で入る。城下の整備と普請を行い、水堀、
御門、櫓八基から成る山麓居館部を築いた。この頃から、石垣を持つ近代城郭が始まり、1
618年越前国長岡から堀直竒が10万石で入り、更なる拡張を施し、現在に残る石垣群と
なった。1639年堀直定、1644年本多忠義を経て、1663年播磨国姫路から15万
石で越前松平直矩が入り、三重天守が新造されたが、1667年の落雷で焼失し、以後、再
建されなかった。1667年榊原政倫−政邦、1704年本多忠孝−忠良、1711年大河
内松平輝貞、1717年間瀬詮房−詮言、1720年内藤弌信−信輝−信興−信旭−信凭−
信敦−信思−信民と続き、信美で明治を迎える。1991年国指定史跡、2017年続日本
100名城に選定される。現在は井戸跡、竪堀、曲輪、石垣が残る。
【所感】現在、村上城跡の西麓〔村上市役所側〕に城跡専用の駐車場が設けられており、標
柱に従って進むと、村上城跡碑・城主居館跡・一文字門跡が在る登城口に着きます。ジグザ
グの大手道(七曲り道)を登ると、三方の分岐点となる四ツ御門跡に着きます。左は「三の
丸」・右は「二の丸→本丸」、直進は「中世遺構散策コース→本丸」となります。三の丸(
調練場跡)の奥には玉櫓跡・靭櫓跡・武具倉跡などが在り、標柱も立ってます。この後、私
は雨上がりで滑りやすい中世遺構散策コースへ。草木が生い茂って進めない場所もありまし
たが、千貫井戸跡・坂中門跡・田口中門跡・腰曲輪・埋門跡など主要な遺構だけ撮りました
。本丸の出入口は冠木門跡だけ。コの字型の枡形なっており、冠木門跡から左へ折れて櫓門
、更に左へ折れて本丸へ入る形です。往時は本丸南西角に天守台、北端の両角には隅櫓を置
き、門も含めて一周を多聞櫓で繋ぐ建物が在りました。本丸周りの帯曲輪にも南東角に巽櫓
、南西角に乾櫓が在りました。最後は二の丸。本丸から突き出た石垣先端に出櫓跡、東横に
黒門跡(工事中)、北へ進むと枡形の御鐘門跡の石垣が残り、四ツ御門に戻ります。続日本
100名城にも選定されたこともあって、雨上がりでも観光客が来ていましたが、本丸から
の眺めはいつ来ても素晴らしいものがあります。
一文字門跡・登城口
七曲り道・大手道
四ツ御門脇の石垣
四ツ門御跡・二の丸
調練場跡・三の丸
武具倉跡・調練場跡・三の丸
御鐘門跡・二の丸
出櫓跡・二の丸
本丸北面の石垣
本丸南面の石垣
冠木御門跡・本丸
櫓御門跡・本丸
本丸東端の長い多聞櫓の石垣
天守台・本丸
本丸から見た村上市街と日本海
千貫井戸・馬冷やし場
坂中門跡
田口中門跡
本丸東斜面の腰曲輪
埋門跡
西麓の城主居館跡・城山児童公園