尾張 村木砦
Muraki fort

村木砦跡【愛知県知多郡東浦町森岡字取手】
 八剱社【愛知県知多郡東浦町森岡字取手30】
村木神社【愛知県知多郡東浦町森岡字天王西27】
 飯喰場【愛知県知多郡東浦町森岡字中町8−1】

【立地】平城


【歴史】1551年織田信秀没後、今川義元は尾張侵攻を始める。鳴海城・大高城・沓掛城を手中に収
め、次に織田方に属した緒川城主水野信元を攻めるべく、1553年今川の岡崎衆が村木砦を築き、青
野松平家初代義春〔松平宗家5代長忠の四男〕を城将とした。信元より援軍依頼を受けた信長は、15
54年1月21日那古野城を出立、1月22日強風の中、熱田湊から渡海、23日緒川城に到着した。
1554年1月24日朝「村木砦の戦い」が始まり、織田・水野×今川の両軍はよく戦ったが、夕方、
今川軍が降伏した。1571年水野信元の家臣清水八右衛門家重、権之助政晴は戦死者の鎮魂を願い、
八劔神社を創建したと云う。現在は神社、住宅、畑地、線路に変わり、曲輪、土塁らしきものが残る。


【所感】国道366号線森岡駅西信号から、北へ120m程進んだ右手の路地を入ると、八劔神社が在
ります。社殿の左に歴史看板、右に村木砦跡の石碑が立っています。石碑の背後をJR武豊線が走って
いますが、柵も何も無いので、電車を見た時にびっくりしました。村木砦跡の南西600m程に信長軍
が本陣とした村木神社〔嘗ての天王社〕、西方600m程に戦後、信長が兵に労いの言葉をかけ、戦勝
祝いの酒盛りをしたという飯喰場〔森岡新池公園〕が在ります。




八劔神社・村木砦跡


 

村木砦の戦いの説明看板・八劔神社〔写真:左〕村木砦址の石碑・八劔神社〔写真:右〕

 

信長が本陣とした村木神社〔写真:左〕信長軍が戦勝酒盛りした飯喰場・森岡新池公園〔写真:右〕