美濃 苗木城
Naegi castle

   苗木城跡【岐阜県中津川市苗木】
苗木遠山史料館【岐阜県中津川市苗木2897−2】

【立地】山城
【別称】赤壁城・高森城・霞城

【国指定史跡】苗木城跡

【歴史】天文年間(1532〜1555年)、城山〔標高426m、比高126m〕に遠山
直廉が築いたとされるが、築城時期については諸説ある。加藤次郎景廉を祖とする遠山氏は
、岩村遠山氏を主流に恵那郡全域に勢力を持っていた。戦国時代、この地は武田、織田の勢
力争いの地となり、直廉は信長の妹を娶り、織田方に属した。1570年直廉が没すると、
信長は飯羽間城主城右衛門佐友勝の子久兵衛尉友忠に苗木城を継がせた。友忠は飯羽間城に
長男を置き、次男を中津川市手賀野の明照城に配し、武田勢に対する押さえとした。157
2年11月武田信玄は伊那高遠城主秋山信友を主将として美濃へ侵入させた。遠山方の諸将
は上村の戦いで敗れ、飯羽間・岩村城は落城したが、苗木城は信長方として任を果たした。
1582年「本能寺の変」で信長が没すると、1583年直廉の養子友忠は秀吉の命に背き
、金山城主森長可に攻められて落城。その後、川尻直次が入り、石垣、天守を持つ城を築い
たと云う。1600年「関ヶ原の戦い」で友忠の子遠山友政は東軍で属し、苗木城に復帰。
美濃国恵那・加茂2郡内に於いて1万500石を得て、苗木藩を立藩した。1616年嫡男
秀友が継ぎ、1642年わずか2歳の友貞が遺領を相続した。友春−友由−友将−友央−友
明−友清−友隨−友寿−友禄と続いた。1981年国史跡に指定され、現在は曲輪、井戸跡
、数多くの石垣が残る。


【所感】苗木城は岩村城と並び、石垣が多く残る山城です。苗木遠山史料館、もしくは史料
館裏手の入口近くまで車で行き、そこから歩いて本丸へ向かいます。石垣を見ていると、1
万石足らずの殿様とは思えない程の城です。本丸からの眺めは最高。眼下に木曽川、目の前
に恵那山。とにかく石垣好きには堪らない何度訪ねても飽きない城です。





城跡入口



足軽長屋跡北面の石垣





足軽長屋跡





光耀山 金厳寺 龍王院跡



龍王院跡の井戸跡



森神社



森神社から見た二の丸と本丸



風吹門跡





北門跡









大矢倉台



駈門跡



竹門跡



埋められた戦国期の堀切・大門手前





大門跡



御朱印蔵跡




二の丸西側の井戸跡





二の丸館跡







的場・二の丸





不明門跡



清水門跡




八大龍王大神



物見矢倉跡(木曽物見)




仕切門跡−物見矢倉跡間の一二三段石垣



仕切門跡





本丸東側の的場



綿蔵門跡



坂下門跡




菱櫓門跡



千石井戸跡





本丸口門跡



具足蔵跡





武器蔵跡



笠置矢倉跡




玄関口門跡





本丸南側の馬洗岩



本丸北側の小屋跡




本丸南側の石垣



天守から見た本丸北エリア



天守から見た本丸東エリア



天守から見た森神社





天守柱梁・懸造り・本丸