三河 長江城
Nagae castle
長江城跡【愛知県北設楽郡設楽町長江字松ヶ根】
【立地】山城
【別称】永江城
【町指定史跡】
【歴史】鎌倉時代初期、標高730m、比高530mの山頂に永江時俊が築いた城とされる
。源平合戦の戦功で源頼朝より永江荘地頭職に任ぜられ、その勢力は長江、小松、八橋から
津具、豊根村大沢、東栄町小林にまで及んだと云う。1424年13代永江満綱、尚綱兄弟
は南朝悲劇の皇子尹良親王を奉じて信濃から三河へ潜入途中、信濃国波合で地侍の襲撃を受
け、親王と共に討死した。この時、嫡子盛綱が幼少であった為、吉良の斉藤則盛に養育され
ることになり、長江を離れて廃城となる。現在は山林となり、曲輪、旧道の切通しが残る。
【所感】国道274号線と国道473号線が交差する大田口信号T字路から、国道473号
線を進み、300m程進んだ左の県道427号線へ入ります。道なりに4キロ程走ると、右
手に長江集落へ向かう「永江城址登口」の標柱が立ち、この道を入って集落内を上り下ると
、正面に「永江城址登口」の看板と登城道が見えます。杉林内を少し歩くと、左手に「永江
氏の大沢寺址」の標柱が立ち、この場所までの道や周辺に石積が多いことに気付きます。徐
々に勾配が付き、ジグザグ道を経て、20分程で本丸南の切通しに着きます。ここから一直
線に丸太段を上り切ると、広い本丸の最高所に長江城跡の碑が在ります。町指定史跡という
ことで本丸まで整備された道でしたが、私には勾配のキツイ道でした。
長江城跡遠景
登城口〔写真:左〕登城道〔写真:右〕
旧道の切通し〔写真:左〕長江城址の碑・本丸〔写真:右〕