遠江 中泉陣屋
Nakaizumi Jinya
中泉陣屋跡【静岡県磐田市中泉】
ファミリーマート磐田駅南口店【静岡県磐田市中泉字御殿2270−13】
あおい会館【静岡県磐田市中泉2270−27】
【立地】平地
【別称】中泉代官所・御陣屋
【歴史】1590年秀吉の命で家康は関東移封となり、在京賄料として遠江国中泉・白須賀
各1000石を含む10万石が給された。その後、伊奈忠次らによって中泉御殿の東側に陣
屋が築かれた。1603年江戸幕府開府後、代官頭伊奈忠次の管理下、複数の代官が駐在・
実務に当たった。徳川頼宣領国期でも彦坂光正支配下で複数の代官が置かれたが、1619
年幕領に復帰し、中野重吉が就任して以後は代官一人体制に移行した。近世前期の遠江幕領
は、在地土豪より登用された多数の代官が支配したが、土豪代官支配地も含めて遠江幕領全
体を調整・統括する機能を担ったのが、中泉陣屋である。17世紀後半以降、遠江でも多く
の土豪代官が処罰され、9名いた幕府代官も、1700年には中泉代官野田秀成〔1698
〜1702年在任〕ら3人に絞られ、代官陣屋も中泉・川井・新貝のみとなった。1722
年川井陣屋廃止、1790年新貝陣屋廃止。中泉陣屋は羽倉外記〔1821〜1823年在
任〕・林鶴梁〔1853〜1858年在任〕といった儒者・文人も在任。1831年火災に
より焼失、1854年地震により全壊、陣屋は二度改築された。1866年2月尾張藩役人
より新政府の下で接収されたが、代官大竹庫三郎は引き続き、1869年7月まで在任、明
治期には中泉学校として利用された。現在はコンビニ・住宅となり、陣屋の表門が個人宅に
移築されている。
【所感】中泉陣屋は御殿遺跡公園の北隣り、ファミリーマート磐田駅南口店辺りに位置し、
公園の南西、あおい会館の区画が中泉御殿の場所になります。この一帯は御殿・二之宮遺跡
と呼ばれる場所で、奈良時代に遠江国府が置かれていたことから、建物跡や濠が見付かって
います。昔から重要な場所であったことは確かですが、周辺の住宅や道路を見ていると、そ
のような場所であったことを微塵も感じられません。
御殿遺跡公園
「御陣屋跡 軍兵稲荷道」の石碑と説明看板・御殿遺跡公園