遠江 中村屋敷
Nakamura residence

中村屋敷跡・中村家住宅【静岡県浜松市西区雄踏町宇布見4912】

【立地】平地
【別称】中村家住宅

【歴史】中村家の初代中村正範は源範頼の末裔で、大和国広瀬郡中村郷に住んで中村氏を名
乗った。1481年14代正實が今川氏に招かれ、遠江国磐田郡大橋郷に領地を賜り、その
後、敷知郡和田・平松・宇布見・山崎・大白須の5ヶ荘を与えられた。1483年宇布見に
屋敷を構え、16世紀の今川時代は浜名湖の軍船を支配した。1568年「徳川家康の遠江
侵攻」の際、18代正吉は船を出して迎えるなどの御用を果たし、徳川に仕えて、今切軍船
兵糧奉行や代官を勤めた。1574年徳川家康の側室お万の方が家康の第二子「於義丸」を
当屋敷で出産。その時の胞衣(後産)を埋めた胞衣塚がある。1590年「家康の関東移封」
の際、18代中村源左衛門正吉は宇布見に残った。江戸時代は庄屋を勤めていたが、藩祖を
結城秀康とする越前福井藩や津山藩から士分格として知行を得るとともに越前松平家一門、
浜松藩主から於義丸誕生の御殿や胞衣塚修繕の名目で金銀が下賜された。また、徳川御三家
・老中・大坂城代・京都所司代の諸大名、及び、越前松平家一門の大名が東海道を通行する
際、中村家歴代当主が御目見をしていた。徳川氏との関係で格式の高い家柄である為、一般
の庄屋とは異なり、浜松城主と単独で拝謁出来る古くからの独礼庄屋であった。明治維新時
、28代貞則は討幕軍を警固する遠州報国隊結成に尽力し、郷社の神官を勤め、五等郵便局
も開設した。29代東海は神職となり、当地方の精神的な支柱として住民の尊敬を集め、東
海様と呼ばれた。30代正輔は服部・中村養亀場とはじめ、1902年には三等郵便局長に
就任している。31代幸八は1949年から衆議院議員として長く政界で活躍した。主屋の
建築は1688年とされ、1973年国重要文化財に指定されている。1775年建築の長
屋門、及び、胞衣塚は浜松市指定文化財となっている。

【所感】中村家住宅の北側に専用の広い駐車場が有り、入口は東側に回り込んで長屋門から
入ります。観覧料は200円。私は中村家について説明頂きましたが、撮影は自由とのこと
。庄屋の建物として保存状態が良いこと、結城秀康生誕地ということで訪ねる価値は充分に
あります。今と違って、往時は浜名湖に近い場所でした。





主屋・中村家住宅【国重要文化財】



土間・主屋





ヒロシキ・主屋



ヒロマ・主屋



十八畳・主屋



ザシキ・主屋



四畳半・主屋



納戸・主屋



納戸入側・主屋





長屋門【市指定文化財】





井戸



胞衣塚【市指定文化財】