三河 中田陣屋
Nakata Jinya
中田陣屋跡【愛知県西尾市一色町池田字松原】
長久院【愛知県西尾市一色町池田字寺後39】
隆勝寺【愛知県西尾市一色町池田字寺後41】
【立地】平地
【歴史】榊原利長−勝長−清長−信次を経て、榊原六郎右衛門元次が家康に召されて吉良庄の代官とな
り、幡豆郡中田村に宅地を賜ったことが始まりとされる。1560年「桶狭間の戦い」・1563〜1
564年「三河一向一揆」・1570年「姉川の戦い」・1575年「長篠の戦い」・1584年「小
牧、長久手の戦い」等の戦功によるもので、1584年幡豆郡中田村・市子村で117石余と居屋敷3
000坪を与えられたと云う。1613年元次没後、子の元義が継ぎ、1624年3代将軍家光に召し
出され、江戸在住を命ぜられた。この時、六男の次忠が病弱であったことから、中田村37石を分与し
て残し、自らは次男忠義を連れて江戸へ移住した。次忠の後、元勝−元易−元武−長寅−長次−元寛−
義次と続き、義路〔政五郎〕で明治を迎える。現在は温室となり、遺構は無い。
【所感】県道313号線大塚信号から500m程北へ行った隆勝寺の西側が陣屋跡とされ、現在は温室
や住宅が在ります。長久院の山門は中田陣屋の門を移築したものとされます。
中田陣屋跡〔写真:左〕移築 陣屋門〔写真:右〕