尾張 鳴海城
Narumi castle
鳴海城跡・天神社・鳴海城跡公園【愛知県名古屋市緑区鳴海町城】
三菱東京UFJ銀行鳴海支店【愛知県名古屋市緑区鳴海町本町18−3】
東福院【愛知県名古屋市緑区鳴海町花井町3】
【立地】丘城
【別称】根古屋城
【歴史】応永年間(1394〜1427年)、標高20mの丘に安原備中守宗範が築いたことに始まる
。その後、一時廃城となるが、織田信秀が修築し、家臣山口左馬助義継(教継)〔〜1553年〕、九
郎二郎教吉が入る。信秀死後、義継が今川義元へ転じた為、1552年信長は鳴海城を攻めたが、落城
には至らなかった。その後、義継は信長の策略で切腹となり、岡部五郎兵衛長教(元信)〔〜1581
年〕が入る。1560年「桶狭間の戦い」の際、松平元康が佐久間盛重の丸根砦を落とし、鷲津砦も朝
比奈氏、井伊氏が落とし、織田方は全滅。信長本隊は丹下砦、善照寺砦、中島砦を経て、田楽狭間〔田
楽坪〕へ。今川軍も沓掛城を出、田楽狭間で休憩をとった。信長本隊は雨が止むと同時に急襲し、一瞬
のうちに今川軍を撃破。東へ敗走する今川軍を追って豊川市辺りで義元の首を討ち取った。岡部元信は
、義元の首と引き換えに鳴海城を信長に明け渡し、佐久間右衛門尉信盛〔〜1582年〕が城主となっ
た。1590年佐久間甚九郎正勝〔1556〜1631年〕の時、廃城となる。現在は住宅、天神社、
鳴海城跡公園などに変わり、遺構は無い。
【所感】名鉄鳴海駅北、三菱東京UFJ銀行横の天神社に鳴海城跡の石碑が在り、天神社から西方の鳴
海城跡公園辺りまで東西に長い城でした。現在は道路、住宅に変わり、丘上に在ったことだけが分かる
程度です。鳴海城跡公園北の東福院に鳴海城の廃材で造られたとされる山門が在ります。
鳴海城跡公園・鳴海城跡
鳴海城址之碑と鳴海城跡の歴史看板・天神社〔写真:左〕鳴海城趾の石碑・天神社〔写真:右〕
天神社・鳴海城跡〔写真:左〕鳴海城の廃材を用いた山門・東福院〔写真:右〕