尾張 長束正家邸
Natsuka Masaie residence

    長束正家邸跡【愛知県稲沢市長束町北浦】
       大光寺【愛知県稲沢市長束町座守37】
       白山社【愛知県稲沢市長束町座守1354】
本多金属工業稲沢工場【愛知県稲沢市長束町青木田102】

【立地】平地
【別称】長束屋敷・長束大蔵少輔屋敷

【歴史】時期は不明である。長束正家〔〜1600年〕の屋敷とされる。正家は初め丹羽長秀に
仕えたが、1585年長秀没後、秀吉に仕え、高い算術能力を買われて財政面で活躍した。同年
奉行となり、1587年「九州討伐」では蔵米の集結、分担を担当し、1590年「小田原征伐
」1592〜1598年「文禄、慶長の役」で兵糧奉行となる。1595年増田長盛の近江国水
口5万石→12万石を与えられ、豊臣政権五奉行の一人となる。1600年伏見城、伊勢国安濃
津城を落城させ、「関ヶ原の戦い」では西軍に属した。南宮山に布陣し、石田三成の狼煙の合図
で攻める予定だったが、東軍に寝返った吉川広家に遮られ、毛利勢も動かなかった為、戦わずし
て水口へ敗走した。その直後、池田輝政に包囲され、城に火をかけて弟直吉と共に自害した。現
在は住宅に変わり、南方の長束町沙耶に石碑が立つ。


【所感】名鉄名古屋本線と福田川に挟まれた地で、県道136号線沿い本多金属工業稲沢工場北
の道を80m程進むと、右手に長束正家邸址の石碑が在ります。この石碑は明治初期、この周辺
で出土した巨石で築かれものと云われています。屋敷跡は大光寺、白山社の北2つ目の区画で、
現在は住宅が建っています。


 

屋敷跡南の白山社と大光寺〔写真:左〕長束正家邸址の石碑〔写真:右〕