陸奥 根城
Ne castle
根城跡【青森県八戸市根城字根城・東構】
史跡 根城の広場【青森県八戸市根城字根城47】
八戸市博物館【青森県八戸市根城字東構35−1】
【立地】平城
【国指定史跡】根城跡
【歴史】1334年鎌倉幕府を滅ぼした後醍醐天皇の新政が始まり、北条氏の影響が強かった陸奥の押
さえとして、皇子義良親王を奉じて北畠顕家が陸奥国〔福島・宮城・岩手・青森〕の国司、甲斐国浪木
井の地頭職であった南部師行も供奉して国司代に任ぜられた。同年、南部師行は八森に城を築き、朝廷
方の根本の城という意味から「根城」と称された。発掘調査では、平安時代後期以降の住居跡などが見
付かっている為、南部氏入部前の豪族工藤氏などの施設を修築したものとされる。師行は大光寺合戦な
どで戦功を挙げ、津軽地方へも勢力を伸ばしたが、1338年北畠顕家の征西軍に加わり、足利方の高
師直軍と戦い、石津〔大阪府堺市付近〕で戦死した。師行没後、弟政長が継ぎ、信政−信光を経て、1
392年政光の時、南北朝が合一。実長を祖とする根城南部氏の本領は甲斐であったが、1393年政
光は根城へ移住、東善寺〔東善寺館の場所へ〕も甲斐から移した。長経−光経−長安−守清と続き、1
457年政経の時、「田名部〔蠣崎蔵人〕の戦い」に勝ち、下北半島を支配。信長−治義−義継−勝義
を経て、1567年政栄の時、櫛引弥六郎・東政勝らの攻撃を受けるが、1571年櫛引城を攻め落と
し、櫛引氏領4ヵ村と東氏領8ヵ村を得る。1590年「小田原征伐」の際、政栄は進んで留守を引き
受け、子の直栄を三戸の南部信直に付かせ、秀吉軍として参陣。戦後、本領を安堵され、根城南部氏は
三戸南部信直の支配下となる。1592年秀吉の諸城破却令で根城も破却対象となったが、柵、橋など
を撤去したのみで、その後も生活していたらしい。1627年3月南部利直の命により南部直政は遠野
〔岩手県遠野市〕へ移封、根城は廃城となる。1941年国史跡に指定され、1994年主要部は「史
跡根城の広場」として建物が復元され、現在は曲輪、土塁、堀、井戸跡が残る。
【所感】根城は東善寺館・中館・本丸・岡前館・沢里館の5つの曲輪から成る城跡ですが、今回は公園
化されている東善寺館・中館・本丸を訪ねました。八戸市博物館に車を止め、旧八戸城東門を潜ると、
東善寺館・中館を経て、本丸まで散策路が続いています。本丸〔史跡根城の広場〕は有料になりますが
、掘立柱建物跡や多くの建物が復元され、往時の城内の暮らしをうかがい知ることが出来ます。城柵の
外は本丸を囲むように横堀が巡り、更にその外側に土塁を見ることが出来ます。他にも中館の東・南側
、東善寺館東側にも堀が残っています。中館周辺は芝生が敷かれ、グループで遊ぶ人、散策路を歩く人
など地元の方の憩いの場になっています。
旧八戸城東門
東善寺館東側の堀
東善寺館
中館東側の堀
中館南側の堀
中館と本丸東側の堀
本丸東側の堀
本丸
主殿・本丸
詰之間・主殿・本丸〔写真:左〕茶之間・主殿・本丸〔写真:右〕
控之間・主殿・本丸〔写真:左〕二之間・主殿・本丸〔写真:右〕
広間・主殿・本丸〔写真:左〕重宝之間・主殿・本丸〔写真:右〕
祈祷之間・主殿・本丸〔写真:左〕台所と縁・主殿・本丸〔写真:右〕
上馬屋・本丸〔写真:左〕中馬屋・本丸〔写真:右〕
下馬屋跡・本丸〔写真:左〕下馬屋跡前の井戸跡〔写真:右〕
番所・本丸〔写真:左〕西門・本丸〔写真:右〕
工房・本丸
常御殿跡・本丸
奥御殿跡・本丸
野鍛冶場・本丸〔写真:左〕鍛冶工房・本丸〔写真:右〕
井戸跡と板蔵・本丸〔写真:左〕主殿板倉横の井戸跡・本丸〔写真:右〕
納屋・本丸
本丸南西側の堀と土塁
本丸西側の堀と土塁
本丸北西側の堀と土塁