山城 二条城
Nijo castle

【京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町】

【立地】平城
【別称】二条新御所・二条新屋敷・旧二条離宮

【ユネスコ世界遺産】二条城
【国宝】二条城二之丸御殿(車寄、遠侍、式台、大広間、蘇鉄の間、黒書
    院、白書院)

【国重要文化財】台所、御清所、唐門、東大手門、北大手門、西門、東南
        隅櫓、西南隅櫓、土蔵、鳴子門、桃山門、北中仕切門、
        南中仕切門、本丸櫓門、本丸御殿〔旧桂離宮御殿〕
【国指定史跡】旧二条離宮〔二条城〕
【国特別名勝】二之丸庭園

【歴史】1601〜1603年京都御所の守護・将軍上洛時の宿泊所として、現在の二之丸辺りに徳川
家康が築いたことに始まる。将軍居所としては、1569年織田信長が築いた「二条古城」、1587
年豊臣秀吉が築いた「聚楽第」に次ぐもので、政治色の強い建物である。1611年家康と豊臣秀頼の
会見が行われ、1614年軍議から「大坂冬の陣」、1615年「大坂冬の陣」となり、豊臣家滅亡へ
至る。1619年2代将軍徳川秀忠は娘和子と後水尾天皇の入内に備えて改修、1624年3代将軍徳
川家光が二条城の天守を淀城へ移し、代わりに伏見城の天守を移築し、城の拡張、殿舎の整備に着手す
る。1626年本丸・二之丸・天守閣が完成し、現在のような規模となる。1634年二条在番を置き
、留守居をさせる。1750年落雷により、五重天守が焼失。1866年慶喜が15代将軍を継ぎ、1
867年二之丸御殿大広間で「大政奉還」が告げられた。1884年「二条離宮」と呼ばれ、1893
年「桂宮御殿」を本丸へ移築し、「本丸御殿」となる。1952年二之丸御殿6棟が国宝、隅櫓など2
2棟の建物が重要文化財に指定。1994年ユネスコ世界文化遺産に登録される。現在は京都の名所と
して、修学旅行を含め、多くの人が訪れる。

【所感】修学旅行以来、二十数年ぶりの訪城になります。今、思い返すと、二之丸御殿のうぐいす張り
しか印象に残っていません。今回やっと、内外全体を回ることが出来ました。とにかく、外堀、内堀を
含め、石垣がしっかり残されています。二条城全体が世界遺産、二之丸御殿は国宝、東大手門から順に
見て回る殆どの建物が重文。すごいの一言です。特に狩野探幽一族と門下によって描かれた二之丸御殿
の襖画は一見の価値あり。京都は寺社巡りが主流となっていますが、是非、立ち寄って欲しい城です。




東大手門【国重要文化財】

 

「史蹟 舊二條離宮 二條城」の石碑〔写真:左〕西南隅櫓【国重要文化財】〔写真:右〕



東南隅櫓【国重要文化財】

 

南門【国重要文化財】・二の丸〔写真:左〕北大手門【国重要文化財】・二の丸〔写真:右〕

 

番所【国重要文化財】・二の丸〔写真:左〕築地塀【国重要文化財】・二の丸〔写真:右〕




唐門【国重要文化財】・二の丸



二の丸御殿の車寄・遠侍・大広間【国宝】

 

二条城と所司代の釣鐘・二の丸〔写真:左〕二の丸御殿の大広間・式台【国宝】〔写真:右〕




二の丸庭園【国名勝】



本丸東門【国重要文化財】

 

本丸東虎口〔写真:左〕本丸西虎口〔写真:右〕

 

桃山門【国重要文化財】・二の丸〔写真:左〕鳴子門【国重要文化財】・二の丸〔写真:右〕

 

南中仕切門【国重要文化財】・二の丸〔写真:左〕北中仕切門【国重要文化財】・二の丸〔写真:右〕

 

西北土蔵【国重要文化財】・二の丸〔写真:左〕天守台から見た西南土蔵【国重要文化財】・二の丸〔写真:右〕

 

旧桂宮御殿・本丸【国重要文化財】〔写真:左〕二の丸土蔵【国重要文化財】〔写真:右〕