伊豆 韮山陣屋
Nirayama jinya

 江川邸【静岡県伊豆の国市韮山韮山1】
源氏茶屋【静岡県伊豆の国市山木803】

【立地】平地
【別称】韮山代官所

【国指定史跡】韮山役所跡
【国重要文化財】江川家住宅(江川邸)

【歴史】幕府代官江川氏が伊豆国韮山に設置した陣屋である。江川氏は大和国奥之郷宇野〔
奈良県五条市〕に住した清和源氏源経基の孫、宇野頼親を祖とする。9代親信の時、伊豆国
八牧郷江川に移住し、子の治長は1180年源頼朝挙兵に功が有り、16代英親は日蓮に帰
依して21代英信は江川氏に改称した。28代英長は後北条の支配下にありながら徳川家康
と内通して、1590年韮山城開城に功があり、家康関東移封に伴い、1596年4809
石の代官となり、幕末まで江川氏が世襲で代官を務めた。1694年英暉の時、150俵に
縮小され、1723年英勝は年貢上納遅と不正を理由に罷免されたが、1750年英彰が代
官に復職した。次の英征は韮山陣屋を本拠に伊豆・相模を中心に周辺の幕領を治めた。韮山
代官の中でも有名な英龍は坦庵と号し、1835年代官に就任した。改革派幕臣として水野
忠邦の天保改革に参画し、幕政については一貫して西洋軍制による兵制の改革を推進した。
1841年高島秋帆より西洋砲術の伝授を受けて西洋砲の借用が許可され、1842年韮山
に塾を開いて多数の人材を育成した。忠邦の失脚後、一時退いたが、ペリー来航もあって幕
政に復帰し、台場の設置、韮山反射炉の建設などに当たるが、事業途中で病没した。一方、
江川氏の下僚である手付・手代は、1854年の場合、江戸詰17名、海防付2名、韮山詰
17名、荒川番所詰1名、計37名が属した。1868年4月、江川英武は新政府に帰順し
て禁裏御代官となり、その後、手付・手代とともに韮山県の官員となった。これによって韮
山陣屋は韮山県の県庁となり、更に1871年足柄県韮山支庁となった。韮山陣屋跡は、1
958年「江川家住宅」として国重要文化財に指定され、2004年「韮山役所跡」として
国指定史跡になった。


【所感】韮山城の東麓に在る江川邸は、韮山陣屋・韮山代官所であり、南隣りに江川砦跡も
在ります。この日は江川邸が年末で閉館してまして、大掃除もしていたので、入館出来ませ
んでした。周辺の砦も含めて再訪したいですね。




韮山陣屋跡(韮山代官所跡)・韮山役所跡【国指定史跡】