三河 仁連木城
Nirengi castle
仁連木城跡【愛知県豊橋市仁連木町】
仁連木老人福祉センター【愛知県豊橋市仁連木町136−2】
【立地】平城
【別称】二連木城・上城・仁連木村古城
【歴史】1493年戸田宗光〔〜1499年6月19日〕の築城とされる。1499年遠江の諏訪氏と
組んで、多米氏の船形山城を占拠したが、間もなく掛川城代の朝比奈泰以に奪回され宗光は討死。宗光
の嫡男憲光は今川氏に帰順し、1506年牧野古白の今橋城を攻略。憲光は二連木城に政光〔〜154
8年8月17日〕、今橋城に戸田金七郎宣成を入城させた。1519年今橋城は古白の遺児牧野成三、
信成兄弟に奪われたが、1537年康光の代で戸田氏が奪回した。1541年康光の次男宣光が二連木
城を改修。1546年康光の嫡男田原城主戸田堯光は織田信秀と通じた為、今川義元の攻撃を受けて今
橋城、翌年、田原城が落され、戸田氏の殆んどが討死した。重貞〔〜1564年11月13日〕−弟の
忠重〔〜1567年5月25日〕を経て、1567年6歳の虎千代が家督を相続し、久松〔松平〕俊勝
の娘松姫3歳を娶り、松平姓を許された。1574年松平虎千代は家康の前で元服し、家康から諱字を
得て松平康長〔1562〜1633年12月12日〕を名乗る。1580年「高天神城攻め」、158
4年「小牧、長久手の戦い」などで戦功をあげ、1590年家康関東移封に伴い武蔵国幡羅郡1万石へ
移り、廃城となる。現在、本丸は大口公園に変わり、曲輪、空堀、土塁が残る。
【所感】豊橋市仁連木老人福祉センター横に大口公園が在ります。入口に鉄碑、公園は空堀と土塁で囲
まれています。老人福祉センター横に在る為、数人のお爺さんが屋根付きベンチで昼寝をしていたので
、起さないように静かに写真を撮って後にしました。
土塁上に立つ二連木城址の石碑・主郭〔写真:左〕主郭・大口公園〔写真:右〕
二連木城址の碑・大口公園入口〔写真:左〕大口公園東側の堀跡〔写真:右〕
主郭南西端の土塁