三河 西蔵前城
Nishi Kuramae castle
西蔵前城跡【愛知県岡崎市西蔵前町峠】
妙源寺【愛知県岡崎市大和町沓市場65】
本多忠高墓碑・大乗寺【愛知県安城市安城町赤塚1】
本多忠豊墓碑【愛知県安城市安城町赤塚】
【立地】平城
【市指定文化財】
【歴史】築城年は定かではない。西蔵前町峠の南方青木川沿いに築かれ、松平右衛門重則―重長の居城
とされる。詳細は不明。近くに本多平八郎忠勝の生誕地がある。本多氏〔本田氏〕は豊後国本多郷の出
で、尾張国横根郷−三河国伊奈郷を経て、助時の時、三河国岩津に来住し、本多平八郎家の祖となる。
松平宗家2代泰親以降、松平家に仕え、2代助豊−3代忠豊を経て、4代忠高の時、西蔵前に居住した
と云う。1548年5代平八郎忠勝は当地に生まれ、徳川四天王〔榊原康政・井伊直政・酒井忠次・本
多忠勝〕の一人として生涯徳川家に仕えた。その後、洞城〔岡崎市洞町〕へ移る。忠勝は“ただ勝つの
み”という願いから命名され、1560年「桶狭間の戦い・大高城攻め」から、1615年「大阪城冬
の陣」まで生涯57戦に出陣し、一度も負傷しなかったと云う。信長からは“花も実もある武将”、秀
吉は“日本第一 昔から今に至るまで、比べ者のない勇士”、小松左近〔武田信玄の家来〕からは“家
康に過ぎたるもの二つあり、唐の頭に本多平八”と称されるほど戦上手の武将であった。現在は住宅と
なり、平八郎家の御子孫宅に本多平八郎忠勝誕生地の石碑が立つ。
【所感】県道39号線東蔵前信号を500m程南下すると、青木川に架かる青木橋があります。橋の手
前を右へ曲がると、直ぐに北へカーブします。80m程進んだ左側の細道〔カーブから1本目〕奥に石
碑が見えます。当地は南方から見て分かるように比較的高い地で、火打山の峠辺りであったことから、
字名が「峠」と言うそうです。また、矢作川へ入る船の輸送貨物を納める蔵が在ったことから、蔵前の
地名がついたとも言われます。
本多平八郎忠勝誕生地の石碑
青木川から見た西蔵前城跡辺り・丘上の住宅
本多忠豊墓碑〔写真:左〕本多忠高墓碑〔写真:右〕