陸奥 野辺地城
Noheji castle

      野辺地城跡【青森県上北郡野辺地町野辺地1】
 野辺地町立中央公民館【青森県上北郡野辺地町野辺地1−15】
野辺地町歴史民俗資料館【青森県上北郡野辺地町野辺地1−3】
   野辺地町立図書館【青森県上北郡野辺地町野辺地1−1】

【立地】平城
【別称】金鶏城・野辺地代官所

【町指定史跡】野辺地代官所跡

【歴史】野辺地城は野辺地町南方丘陵の末端、野辺地川の右岸に在り、チャシの改造と思わ
れる。1335年伊達五郎宗政が「七戸之内野辺地の地」を賜った文章がある。宗政がこの
城に住んだかは伝わっていないが、津軽からの侵入に備える要地である。1592年『南部
領内諸城破却書上』に「野辺地 山城 七戸将監持分」とあり、この将監は七戸分流野辺地
氏を称し、その後、七戸以北が七戸氏の勢力下にあって北方および西方に備えたとされる。
1598年『館持支配帖』に「野辺地 二千石 石井伊賀」と書かれ、その後、小軽米氏→
日戸氏が城代となり、1665年七戸代官野辺地氏が野辺地代官を兼帯、藤村氏と共に野辺
地・横浜を管理した。1691年西野氏が専任の代官となり、1735年藩内の通制が敷か
れて二十五代官所が置かれた時、代官が2名になった。1866年戊辰の年に津軽藩との間
で野辺地戦争があった際、南部藩の拠点になっている。現在は公共施設や駐車場に変わり、
遺構は無い。

【所感】野辺地川と枇杷野川の合流点の北側に野辺地城跡〔野辺地代官所跡〕が在ります。
現在は野辺地町立中央公民館の横に野辺地代官所跡の碑が立つのみで、資料館・図書館・商
工会・駐車場などに姿を変えています。野辺地湾が近いことから、漁業や海運なども行われ
ていたと思われます。




野辺地代官所跡碑・野辺地町立中央公民館横