尾張 奴野城
Nunoya castle
西方寺【愛知県津島市天王通り4丁目23】
【立地】平城
【歴史】正慶年間(1332〜1334年)に築かれ、城主に大橋太郎平貞経、大橋三河守
貞高の名がある。築城者は貞高ともその子定省とも。大橋氏は九州の肥後に居たが、平家滅
亡後、尾張国熱田を経て奴野へ移ったとされる。現在は西方寺となり、遺構は無い。また、
周辺にはと所在地不明の屋敷跡が多い。奥平藤平衛の「奥平屋敷」、河村宗兵衛の「河村屋
敷」、堀田権阿弥の「権阿弥屋敷」、堀田上野守の家臣で山田九左衛門の父堀田将監の「将
監屋敷」、平野甚右衛門〔小法師〕の「小法師宅」、石垣弥五兵衛・後藤九郎兵衛の「石垣
屋敷」、石川八郎兵衛の「石川屋敷」、堀田帯刀の「帯刀屋敷」、福島正則の家臣大橋茂右
衛門の「大橋屋敷」、平野大炊助・平野遠江守長泰の「大炊屋敷」、黒田城主沢井左衛門尉
雄重の「沢井屋敷」、伊勢国菰野の領主土方長兵衛の「土方屋敷」、久世大和守の父平野藤
蔵の「藤蔵屋敷」、堀田半七の「半七屋敷」、堀田道清の「道清屋敷」。
【所感】県道129号線〔県道138号線〕天王通5信号を西へ150m程進んだ辻を北へ
曲がり、50m程進んだ右手に西方寺が在ります。
奴野城跡・西方寺