若狭 小浜城
Obama castle
小浜城跡・小浜神社【福井県小浜市城内1丁目7−55】
【立地】海城
【別称】雲浜城・小濱城
【県指定史跡】
【歴史】若狭国は守護武田信賢が青井山に城を築き、高成寺周辺に居館を構えたが、1522年4代元
光の代で、後瀬山城を築いて移った。7代元明は信長の若狭攻めで討死となり、後瀬山城に秀吉の家臣
丹羽長秀、浅野長政、木下勝俊らが入る。1600年「関ヶ原の戦い」で木下勝俊は西軍に与したこと
から除封となり、近江国大津から8万5000石で京極高次が入り、小浜藩を立藩。1601年近江国
高島内で7000石の加増を受け、後瀬山が不便であった為、平野部の現在地に小浜城の築城を始める
。北川と南川の河口に築かれた水城〔海城〕で、城郭の四方を川と海が囲み、天然の水堀としている。
1609年高次没後、その子忠高が継ぎ、城の修築、城下町の整備を引き継いだ。1624年2万15
00石の加増を受け、11万3500石になる。工事が進まない中、1634年忠高は出雲国松江に転
封となり、替わって武蔵国川越から11万3500石で酒井忠勝が入る。1635年忠勝は石垣の補修
と天守の建設に取り掛かり、1636年10月天守が完成、12万3500石となる。1642年百間
橋の虎口・枡形・石垣などが構築され、小浜城はほぼ完成した。その後、忠直−忠隆−忠囿−忠音−忠
存−忠用−忠與−忠貫−忠進−忠順−忠義−忠氏と続き、忠義が忠禄と称して再相続し、明治を迎える
。現在は小浜神社に天守台、本丸石垣が残る。
【所感】小浜湾に流れる北川、南川に挟まれた河口の中洲に小浜神社・小浜城跡が在ります。小浜神社
は本丸の4分の3のエリアであり、残りの4分の1は鳥居前の東側で、住宅になっています。神社の三
方を囲む石垣には天守台、小天守台もあって、埋門跡や隅櫓台・多聞櫓台が並んでいます。
天守台
小天守台
埋門跡と西櫓台
乾櫓台・本丸北西角〔写真:左〕翳櫓台・本丸北端〔写真:右〕
小濱神社
井戸跡・本丸〔写真:左〕稲荷神社・本丸〔写真:右〕
本丸表門枡形の櫓台〔写真:左〕本丸裏門脇の石垣〔写真:右〕