武蔵 青鳥城
Odori castle
青鳥城跡【埼玉県東松山市石橋】
【立地】丘城
【別称】石橋城
【県指定史跡】
【歴史】築城年、築城者は定かではない。1183年源頼朝、1440年上杉憲実、1478年扇谷上
杉定正・太田道灌が在陣したとされ、斧沢修理大夫、久米新左衛門の名もある。戦国末期、山田伊賀守
直安の居城であったと云う。直安は北条氏直に仕えた直義の次男で、武州松山城主上田案独斎朝直の家
臣である。直安の兄直定〔直昌〕は腰越城主であったが、道祖土図書助により赤浜の原合戦で討死した
為、直安が山田の家督を継いだ。後北条氏滅亡後、家康より300石を得て旗本となり、1600年2
月に没した。現在は民家、林となり、曲輪、土塁、堀などが残る。
【所感】国道254号線きじやま信号の北方一帯が城跡で、東側に関越自動車道が走っています。本郭
を二ノ郭・三ノ郭がコの字型に二重に覆う梯郭式の城郭で、南面は台地端になっています。本郭は10
0m×100mの個人宅地で三方に土塁、500m×200mの二ノ郭は三方を土塁と堀が囲み、郭内
に民家が多く建っています。ニノ郭はこれだけ広大であれば、複数の曲輪を設けることも出来ると思い
ますが、1つであることに驚きました。ご案内頂いた儀一様に感謝致します。
道で分断された二ノ郭北側の土塁
三ノ郭へ延びる細く浅い堀〔写真:左〕二の郭西側の堀〔写真:右〕
青鳥城の標柱〔写真:左〕青鳥城跡板石塔婆〔写真:右〕