美濃 大垣城
Ogaki castle
大垣城【岐阜県大垣市郭町2丁目52】
市営東外側駐車場【岐阜県大垣市東外側町2丁目21】
大垣市保健センター【岐阜県大垣市東外側町2丁目24】
大垣城移築本丸乾門【岐阜県大垣市青野町37】
喫茶大手門【岐阜県大垣市郭町東2丁目66】
廣嶺神社【岐阜県大垣市郭町東2丁目67】
圓通寺【岐阜県大垣市西外側町1丁目32−1】
【立地】平城
【別称】巨鹿城・麋城・大柿城
【天守の構成・形式】複合式層塔型天守
【市指定史跡】
【歴史】築城は、1500年竹腰尚綱・1535年宮川安定の2説がある。牛屋川を外堀と
していたことから、牛屋城とも呼ばれた。1560年氏家直元が入り、櫓などを創築。15
88年秀吉の家臣一柳直末が入り、天守を築いたとされる。1600年「関ヶ原の合戦」で
は、石田三成軍が大垣城を拠点とした。1601年石川康通が上総国鳴渡から5万石で入封
して立藩。1607年康通没後、嫡男忠義が幼少であった為、隠居していた家成が継ぎ、1
609年家成の外孫大久後忠隣の次男忠総が3代藩主になった。1616年久松松平忠良、
1624年岡部長盛−宣勝、1634年久松松平定綱が入る。1635年戸田氏鉄が10万
石で入り、氏信−氏西−氏定−氏長−氏英−氏教−氏庸−氏正−氏彬−氏共と11代続き、
明治を迎える。1936年国宝に指定されるが、1945年空襲で焼失。現在、1959年
天守、1967年・1985年に隅櫓、門が復興されている。
【所感】JR大垣駅から郭町商店街〔県道57号線〕を500m程進んだ右手を入ると、大
垣城跡が在ります。城跡の北には、往時、堀であった水門川が流れ、川沿いに市営東外側駐
車場が在るので、ココに駐車すると良いでしょう。天守閣を中心に北東に艮隅櫓、北西に乾
櫓が復元され、南西に辰巳櫓跡が在ります。門は北に水之手門跡、南に鉄門跡が在り、東に
東門、西に西門が移築されています。国宝天守に指定されていましたが、名古屋城と同じく
戦火で焼失した実に惜しい城です。
四重四階 天守
二重二階 乾隅櫓(水之手櫓)〔写真:左〕西門〔写真:右〕
東門(移築 内柳門)と二重二階 艮隅櫓
天守入口〔写真:左〕辰巳櫓跡〔写真:右〕
七間多門跡(七騎多門跡)〔写真:左〕鉄門跡〔写真:右〕
水之手門跡〔写真:左〕東埋門跡〔写真:右〕
移築 本丸乾門
移築 七口門の一
移築 安積門(鉄門)
大手門跡の石碑・廣嶺神社・喫茶大手門横〔写真:左〕大垣藩校敬教堂跡の石碑・保健センター〔写真:右〕
大垣城外堀 水門川の碑〔写真:左〕辰之口門跡・龍の口橋・水門川〔写真:右〕
戸田氏鉄公騎馬像〔写真:左〕大垣戸田家初代氏鉄公の墓・圓通寺〔写真:右〕
大垣戸田家2代氏信公の墓・圓通寺〔写真:左〕大垣戸田家3代氏西公の墓・圓通寺〔写真:右〕
大垣戸田家4代氏定公の墓・圓通寺〔写真:左〕大垣戸田家5代氏長公の墓・圓通寺〔写真:右〕
大垣戸田家6代氏英公の墓・圓通寺〔写真:左〕大垣戸田家7代氏教公の墓・圓通寺〔写真:右〕
大垣戸田家8代氏庸公の墓・圓通寺〔写真:左〕大垣戸田家9代氏正公の墓・圓通寺〔写真:右〕
大垣戸田家10代氏彬公の墓・圓通寺〔写真:左〕大垣戸田家11代氏共公の墓・圓通寺〔写真:右〕