尾張 緒川新城
Ogawa new castle
緒川新城跡【愛知県知多郡東浦町緒川字古城】
東浦町役場【愛知県知多郡東浦町緒川字政所20】
乾坤院【愛知県知多郡東浦町緒川字沙弥田4】
於大公園【愛知県知多郡東浦町緒川字沙弥田2−1】
学校給食センター【愛知県知多郡東浦町緒川字重右山33−1】
【立地】丘城
【別称】小川城・小河城・緒川城
【町指定史跡】
【緒川藩】1601〜1606年
【歴史】場所は緒川古城と同地で、緒川城跡の石碑が立つ土塁が北端になる。1475年頃、水野貞守
が築き、賢正−清忠−忠政−信元と5代100年続いた水野家の城である。1575年5代信元は武田
方との内通を疑われ、信長の命で家康の家臣石川数正、平岩親吉に嫡子信政と共に大樹寺で殺害され、
廃城となる。この後、佐久間信盛の所領となるが、1580年に石山本願寺攻めの怠慢を責められて追
放となり、代わって信元の弟水野織部正忠守が復帰した。これ以後、緒川新城と称される。忠守の後、
弟忠分の長男分長が継ぎ、1601年尾張国知多郡内9820石余で緒川藩を立藩、緒川城北の高薮城
に移ったとされるが、確証はない。1604年分長は従五位下備後守を叙任され、1606年三河国新
城城1万石へ移り、廃藩、廃城となる。現在は土塁の一部が残り、乾坤院に城門が移築されている。
【所感】緒川城跡の城址碑は東浦町役場前から北200m程の住宅地内に在ります。松の木が生える高
さ6m程の土塁の場所に城址碑、説明看板が在り、土塁南側の古城児童遊園に傳通院於大出生地の石碑
が立っています。城跡とされるエリアの南東部が抉れて低くなっていますが、鉄道や道路造成の為に土
が削り取られたようです。東浦町役場西に於大公園、乾坤院が在り、乾坤院総門が緒川城城門の移築と
云われています。以前は東浦町学校給食センター前に緒川城跡見学専用の駐車場が在りましたが、給食
センターは移転、駐車場も無くなったそうです。東浦町役場の駐車場をご利用下さい。
緒川城跡に残る土塁の一部
緒川城址の石碑・歴史看板〔写真:左〕傳通院於大出生地の石碑・古城児童遊園〔写真:右〕
移築 緒川城正門・乾坤院総門〔写真:左〕移築 緒川城主家臣水野某の屋敷門と石垣・傳宗院〔写真:右〕
緒川城主三代の墓・於大公園東端〔写真:左〕水野成政公・成清公の墓・於大公園東端〔写真:右〕
水野忠政公の墓・乾坤院本堂西隣り〔写真:左〕堅雄堂・乾坤院〔写真:右〕
水野氏墓所・乾坤院本堂西隣り